2005年1月26日水曜日

プラス人生の本へマイナス批評

 最近の Nature 誌にノーベル賞物理学者ファインマンの笑顔の写真(ノーベル賞受賞の記者会見時のものかと思われる)が入っている書評 [1] があったので読んでみた。K. R. ジャミソンの "Exuberance: The Passion for Life" という本 [2] を評したものである。

 セオドア・ルーズベルト(アメリカの第 26 代大統領、ノーベル平和賞受賞)、リチャード・ファインマン、ハンフリー・デイヴィ(イギリスの化学者、電気分解で化合物を構成要素に分解できることを発見)、ジェームズ・ワトソン(アメリカの遺伝学者、DNA の分子構造を共同発見)など、各方面の優れた人物に共通の性格を、ジャミソンは 'exuberance'(活力横溢)と呼ぶ。そして、それは、限りない楽観性、精力、他人を捉える能力、陽気さ、子どもの頃からの驚きと遊び心を大人になっても持ち続けること、などのいろいろな性質の重ね合わせであると見る。

 評者 D. ネトルは、ジャミソンが感情を否定的・消極的なものと肯定的・積極的なものに 2 分する古い考え方に頼っているとして、本書に批判的である。詩的な描写は生き生きとしているが、期待していた真面目な仮説または実験による裏付けが見られない旨も述べている。

 学術・研究の報告書と見るならば、仮説または実験が必要だろうが、研究の一つの方向を示唆する本と見れば、そこまで要求することもないのではないか。[2] の書名をクリックするとアマゾン書店の同書情報ページにつながり、Publishers WeeklyThe Washington Post's Book World に掲載されたもっと肯定的な書評(英文)を読むことができる。

 ジャミソンは、自ら双極性障害(躁うつ病)を持ちながら、その治療者でもあるという境遇を、愛と勇気に支えられて生き抜いてきた女性精神医学者である [3]。評者ネトルは、ニューカッスル大の心理学科所属。

  1. Daniel Nettle, Nature Vol. 433, p. 108 (2005).
  2. Kay Redfield Jamison, Exuberance: The Passion for Life (Knopf, 2004).
  3. K. ジャミソン著、田中啓子訳『躁うつ病を生きる:わたしはこの残酷で魅惑的な病気を愛せるか?』(1998, 新曜社)(原題 An Unquiet Mind: A Memoir of Moods and Madness, Knopf 1995)。

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

Y 01/26/2005 12:26
 ノーベル賞受賞者の方々の性格分析に、心理学の実験や調査まで持ち込む必要はないと思いますね。それこそ、おひとりおひとりのたぐいまれな個性が数値化などによって抑えられてしまって、もったいないと思います。むしろ、ファインマンの文章や発言や表情などから、この女性精神医学者のように分析するのがよいでしょう。
 「活力横溢」ですか。それはあると思いますが、そういえば精神医学には病跡学という分野があって、精神疾患を持った著名な歴史上の人物の史料を緻密に追って、その病と彼らの業績や生き方との関係などを分析するものですが、果たして「過去の記録、史料」からその人の本当の精神構造、疾患構造がどれだけ浮き彫りになるか、と問題視される向きもあります。
 私自身の体験で言うと、感情は否定的・消極的なものと肯定的・積極的なものとに二分されることが多いと言ってもいいのではないかと思います。ジャミソンは躁鬱病ですから、余計にこの両極を重視する傾向があるのかもしれませんね。私も、否定的な感情・感性に侵され始めると、どんどん病状が悪い方に行くので、それはあながち古い二分法だとは言えないと思うのです。

Y 01/26/2005 12:30
 訂正。ノーベル賞受賞者だけでなく、ルーズベルト、ワトソンなど、歴史上・世界での著名な人々の精神構造の分析についてなのですね。

Ted 01/26/2005 15:10
 著名な歴史上の人物の史料を追う病跡学というものがあるとは、よいことを教えていただきました。それにしても、それは何らかの病気のある人物の研究で、健全で著名な歴史上の人物の精神は、研究の対象にされることがあまりなかったようですね。The Washington Post's Book World に掲載の Nancy Schoenberger の書評は、ジャミソンが「Exuberance は、これまで心理学研究の中心になることがなかった。不幸あるいは鬱状態の研究論文100に対し、幸福状態の研究は1報しかない」と書いていることを紹介し、問題のない状態を研究する理由がないことを思えば、この状況は理解できるが、ジャミソンにとっては創造性の源という問題は長らく研究の目標であったのであり、この本によって彼女はそれを含めるところまで研究分野を拡大した、と評価しています。ネトルの書評は、彼自身の好みが強く出過ぎているきらいがあるようです。
 訂正コメントで、引用の人名に簡単な説明をつけたほうが親切と気づき、そのようにしました。

Y 01/26/2005 15:27
 臨床心理学は、病や悩める状態に対しての必要性に応える学ですから、不幸や鬱研究が求められてくるのですが、心理学全般に関していえば、ジャミソンが研究の目標としたような、「創造性の源」が何であるか、というテーマは、大いに心理学の研究テーマとなってよいと思います。ただ、そういった「健全な人の心理学」は今まで、ほとんど実験心理学や統計心理学に拠ってきた部分が大きく、それで本当に人の創造性の源を発掘できるのか、…となると、ジャミソンのように、創造性を発揮した著名人について綿密な個別研究をするという手法が、このテーマについてもっと用いられてよいように思います。
 どうしても、研究者としての生き残りの話でいうと、臨床病理などの「必要性・実践性の学」に研究テーマが集まりやすいというのは、多分 Ted さんのような理科系の分野でもそうだと思うのですが…。純粋な理論物理学で生き残るのは、きっと本当に大変なことですよね?

Ted 01/26/2005 19:35
 コメント後半について、全くその通りです。実用から遠い研究は、行政の予算配分において軽視されがちですが、そういうところにこそ予算を十分つぎ込まなければ、将来の実用研究も枯渇してしまうことを、政治家は理解していないようです。

poroko 01/27/2005 00:00
 私は、ファインマンがなぜトゥバに傾倒したのかが気になっています。何が彼をひきつけたのか? 心理的なものがあるのか?

Ted 01/27/2005 08:11
 ファインマンは『ファインマン物理学』の本をまとめた一人であるレイトンの息子ラルフとも親しくしていました。ラルフから、トゥヴァという国は首都の名に母音が含まれず、アジアの地図のほぼ重心に位置しているとか、三角形の珍しい切手を発行しているということを聞いたファインマンは、何にでも興味を持つ性格だったので、ぜひ行ってみたいと思ったのです。詳しくは、ラルフ・レイトン著『ファインマンさん最後の冒険』(岩波文庫、2004) (原書 Ralph Leighton, Tuva or Bust!: Feynmna's Last Journey, Norton, 2000) をご覧下さい。

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