2005年1月25日火曜日

時の走る音

高校時代の交換日記から

(Ted)

1952 年 1 月 25 日(金)雪

 やはり開く[引用時の注:目的語は日記帳]。カエル先生が出て来られたかと思うと、Y・S 先生[引用時の注:解析 I の先生、女性]がまた休まれる。左手をポケットに突っ込み、右手でたくさんの ○ を描き(動物の卵と精子形成の図だ)、耳では風とあられの音を聞き、目を薄暗い光の中にさらしながらの生物の時間には、こうしていることがとても非文明的な状態のように思われてならなかった。
 図画は静物の写生。暗いものが出来上がりそうだ。
 英語の Grammar & Composition は進みが遅く、いま習っているのは 11 月頃に予習したところだ。ノートのそこのところを広げておき、時どき見るだけにして、次のような文を考えていた。
 A believer can defend evil.
 Autumn brings cool days eternally.
 A black clothing depresses emotion.
 A bad comrade didn't enter.

 予習の必要も、読むべき本もない晩には、「時間」の観念がとくに強くなる。「時間」を長く感じたり、もったいなく感じたり、あるいは、自分の前を駆けて行く時の動きがいまさらのように意識にのぼったりするからかも知れない。電灯の作る影は、太陽のそれのように動いて行くことはなく、周囲のものも自分とともに停滞しているようにしか見えないが、…… 時の走る音が耳へ入ってくる。勝てないことは分かっているが、それと競争しなければならない!
 雄々しい敗北者になることが、最も人間らしい人間であることではないだろうか。——と書いてみたが、この考え方を解説できない。

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

テディ 01/25/2005 22:00
Atomic Bomb Can Destroy Everything
なんてのは …?

Ted 01/26/2005 07:55
Oh, it's wonderful!

哲也 01/26/2005 00:43
 「雄々しい敗北者になることが、最も人間らしい人間であることではないだろうか」、そうかもしれません。己の足るを知る、と言いますものね。なかなか到達できない境地です。

Ted 01/26/2005 08:07:41
 私はこの時どういうことを考えていたのか覚えていません。いくつかの目標を達成しても、次々に新しい目標に挑戦し続ければ、どこかで目標達成前に(敗北して)人生を終えることになり、そのように、最後まで挑戦し続ける人間でありたい、ということだったかも知れません。

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