2005年1月16日日曜日

マドンナ的存在、Vicky

 以下に引用する日記に登場する Vicky というのは、美貌、長身で、成績優秀な、学年のマドンナ的女生徒に私が日記の中で勝手につけていたあだ名である。彼女と友人になりたいと思いながら、なれない悩みを記している。(2004 年 12 月 12 日付け記事「卒業30周年記念のうた」に、彼女の近況についてひとこと触れた。)

 また、「巨頭会談」というのは、当時、新聞紙上でよく使われていた国際政治用語である。世界史上有名になっているのは、1955 年 7 月のジュネーヴ 4 巨頭会談(アメリカ・アイゼンハウアー、イギリス・イーデン、フランス・フォール、ソ連・ブルガーニン)である。これはポツダム会談(1945)以来の首脳会談であり、米ソ両国首脳が第二次世界大戦後、初めて直接話し合いを行った場であったそうである。「巨頭会談」の語が 1952 年頃によく使われていたのは、1955 年へ向けての準備が行われていたためだろうか。KZ 君が Vicky と私を指して「両巨頭」といっているのは、夏休み後の総合テストで、Vicky が女生徒で一番(男女合わせても一番)、私が男生徒で一番の成績を取ったことによる。

高校時代の交換日記から

(Ted)

1952 年 1 月 16 日(水)雨

 波状になって動く自己侮蔑が、また高まって来た。いまは、その山かも知れない。
 誰かと何かの話題について、半日ほどとっくりと話してみたい。ゲームなどを媒介としないで、「人」そのもののみに相対しての半日。
 HY 君が最近のぼくの頭を占領し始めている。最近の彼がいくらよく勉強しているといっても、小学校の時の性格がごっそり変わってでもいなければ、彼に相対しても圧力は感じないだろう。しかし、それだけに、半日は難しいかも知れない。いや、誰とだってそれは難しいのだ。この望みを KZ 君に知られたら、A 先生の家の二階へ上がってからも、「ここへ来ることにした動機は?」と聞いた彼のことだから、「またしても分からぬこと」と、頭をかかえるに違いない。
 HY 君はぼくの頭の中で、ともすれば Vicky に転化する。KZ 君は、ぼくと一緒になる唯一の科目である生物の時間について、「恐ろしいな。両巨頭が集まって来るからな」といった。実は、Vicky とぼくはその時間だけでなく、ほとんどの時間割が同じなのだが、一度も巨頭会談、――いや、内省に打ち沈んでいるいま、巨頭と小人の会談といいたい――を持ったことがない。

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

Y 01/16/2005 21
 高校生の一日の心の動き、さざなみ…、これもまた、Ted さんらしい日記で、貴重な記録をよくこれだけたくさん残しておられますね。
 自己軽蔑、誰かと半日とっくりと話してみたい、Vicky というマドンナ的女性と巨頭と小人の会談をすら、まだ持てたことがない…。実に誠実に綴られた日記だと、旧い記録文章の良さを思います。
 Vicky は、Ted さんにとってどんな存在だったのでしょう? 私もこうして人生を経てくると、Ted さんが彼女に対してほのかに抱いていたような思いとは、本当にかけ離れた愛に悩み、これからの人生をどうしていこうと重たく悩む日々なのですが…。

Ted 01/17/2005 07:50
 「Vicky は、Ted さんにとってどんな存在だったのでしょう?」への答については、"Vicky: A Novella" または「英文小説 "Vicky" の解説」を、お暇の折にご覧いただければ、と思います。読まれましたら、ぜひご感想をお寄せ下さい。

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