2005年1月9日日曜日

♪ あなたのくれた帯留めの … ♪

高校時代の交換日記から

(Sam)

1952 年 1 月 9 日(水)曇り

 町の青年部の総会と新年会が某うどん店の二階である。総会は停年に達した会長の後任を決めるだけだったが、その方法がなかなか決まらなかった。結局、会長が数名を候補者として挙げ、抽選によって決定するということになる。
 そのあと、新年会。カルタをするのでもなく、クイズをするのでもなく、くみつかわしつ飲んで、酔って、歌うのである。ぼくがまさか、♪ あなたのくれた帯留めの … ♪
[注 1]、とも、♪ あなたがその気でいうのなら思い切ります … ♪[注 2]、とも歌えないし、黙って聞いているより仕方がなかった。

引用時の注(貰ったコメントを参考にした)
  1. 「トンコ節」。
  2. 「炭坑節」。「トンコ節」とともに、当時よく歌われた。これらについての、より詳細はコメント参照。

コメント(最初の掲載サイトから転載)

テディ 01/09/2005 22:45
 かすかに記憶のある歌詞でしたが、検索したらすぐに見つかりました。ネットって本当に便利ですね。その歌は「トンコ節」ですね。青年部の会長の定年って何歳だったのでしょうか?

Ted 01/10/2005 07:47
 「トンコ節」のウエブサイトを教えていただき、ありがとう。早速、見ました。
   トンコ節
        作詞 西条八十
        作曲 古賀政男
1.あなたのくれた 帯留めの
  だるまの模様が 
  チョイト気にかかる
  さんざ遊んで 転がして
  あとでアッサリ つぶす気か
  ネー トンコトンコ
往時がしのばれます。
 私は、自分の住んでいた町に青年部があったかどうかも知りませんので、青年部会長の定年年齢も、もちろん知りません。

Ted 01/10/2005 08:01
 ついでに「あなたがその気で」を検索し、福岡県民謡「炭鉱節」の一節と分かりました。
1.月が出た出た月が出た
  (アヨイヨイ)
  三池炭鉱の上に出た
  あんまり煙突が高いので
  さぞやお月さん煙たかろう
  (サノヨイヨイ)
2.一山 二山 三山 越え
  (アヨイヨイ)
  奥に咲いたる八重つばき
  なんぼ色よく咲いたとて
  様ちゃんが通わにゃ仇の花
  (サノヨイヨイ)
3.あなたがその気で言うのなら
  (アヨイヨイ)
  思い切ります別れます
  もとの娘の十八に
  かえしてくれたら別れます
  (サノヨイヨイ)
「炭鉱節」も当時よく歌われていましたが、私は上記の前半しか知りませんでした。
 [転載時の注:上記の二つの歌詞を掲載していたサイトは、その後リンク切れとなった。]

Y 01/10/2005 14:33
 あの…。事情で具合が相当悪く、一番読みやすくて、お忙しい中でその恐るべき速さで書き続けられる Ted さんブログのひとつでも来て、コメントしたいと思っても、開いただけで、一向読む気力が出ませんでした。やっと参りましたら…ずっこけました。四方館さんのブログでのご家族での初詣エコログほどに、ちょっとずっこけましたね。なんですか、歌(演歌ですか?)の歌詞だけって・・(笑)。Ted さんと四方館さんって、お二人高レベルですごいですね。
 私は、「あなたがその気で言うのなら 思い切ります別れます」の歌のほうに惹かれるんですが、どうして「その気で言うのなら」思い切ります別れます、なんでしょうか? ああ、もしや、別れの言葉を言われたということですか。しまった、私には言われた経験がたった1回しかないので、わからなかったかな…? あと全部、こちらからお別れ、あるいは逃げてまいりましたので。
 Sam さんはいい方ですよ。だって高校生だしこの通りでしょう。「ぼくは」とひらがなで書かれる男性は、素敵ですね。Ted さん、しゃれっ気でこのブログ書かれましたね、違うんですか?(^^)

Ted 01/10/2005 15:43
 高校時代の Sam との交換日記を、ネタのない日や、交換日記がそこそこうまく書けている日に引用し始めました。しゃれっ気というほどのものではありませんが、そう取って下さっても結構です。「炭坑節」の 3 番の歌詞は、お気づきのように、女性が別れの言葉をいわれた、というものですね。

Nadja 01/10/2005 15:51
あなたがその気でいうのなら…以下の歌詞は、沖縄民謡の「十九の春」に似てますよね。[転載時の注:「十九の春」へのリンクも記してあったが、その後リンク先が消滅したようである。]

Ted 01/10/2005 16:24
 なるほど似ています。福岡県は沖縄に近いからでしょうか。

テディ 01/10/2005 21:20
「炭坑節」の二番三番など全然知りませんでした。私は今までこの歌は炭鉱夫(今ではこの言い方も差別用語とされるのでしょうか?)の労働歌だとばっかり思っていましたが、実は炭鉱婦の歌だったわけですね。それから考えると沖縄民謡の「十九の春」に似た歌詞があるというのも、沖縄から流れてきた炭鉱婦がその歌詞に手を加えたことが充分思慮されます。これは深く追求したら色々な事実が垣間見られるでしょうね。ひょっとしたら、研究した文書もあるかもしれませんよ。

テディ 01/11/2005 22:16
 「ラッパ節」ってかなりの反戦歌ですねえ…。
     ラッパ節
1.いま鳴る時計は 八時半
  あれに遲れりや 重營倉
  今度の休みが ないぢやなし
  放せ軍刀に 錆がつく
  トコトットット
2.大臣大將の 胸先に
  ピカピカ光は なんですえ
  金鵄勳章か 違ひます
  可愛い兵士の しやれかうべ
  トコトットット
3.名譽名譽と おだて上げ
  大事なせがれを むざむざと
  銃(つゝ)の餌食に 誰がした
  元のせがれに して返せ
  トコトットット
4.子供の玩具ぢや あるまいし
  金鵄勳章や 金平糖
  胸につるして 得意顏
  およし男が 下がります
  トコトットット
5.倒れし戰友 抱き起こし
  耳に口あて 名を呼べば
  につこり笑つて 目に涙
  萬歳となふも 口のうち
  トコトットット
 この「元のせがれにして返せ」が「炭鉱節」の「もとの娘の十八に/かえしてくれたら別れます」や「十九の春」の「今さら離縁と云うならば/元の十九にしておくれ」に通じるといえるかもしれません。いずれにしても、庶民のルサンチマン(怨念)の発露と言えるのかも…。しかし、この歌を公の場で歌えばかなりの弾圧を受けたと思われます。それだけに庶民の恨みが伝わってくる思いがするのですが。

Ted 01/12/2005 08:58
 「炭坑節」と「十九の春」で検索し、次のウエブサイトを見つけました。
[1] 九州沖縄の歌[十九の春]
[2] 小浜司、島唄コラム Vol. 5「十九の春」、歴史的に考察する
[3] 仲宗根幸市、黒潮の海を往来した歌たち
[4] Kyo Nobuko、2002東アジア文化論第5回、旅する唄:「路上」から「辺境」へ
[後日の注:上記サイトはいずれもその後リンク切れとなった。]
 [1] には

 この曲[「十九の春」]の原型は明治時代の終わり頃、本土で流行した「ラッパ節」が九州の炭坑労働者の間で歌われ、その後与論島に伝わり、「与論ラッパ節」「与論小唄」と進化し、それが沖縄に伝わったのではないかと言われている。戦前、沖縄では「ジュリグヮー小唄」として歌われた。それを1972年の日本復帰後、本竹裕助が歌詞を補作してレコード化、大ヒットした。

とあり、[2]、[3] にも同様な流れが記されています。しかし、「炭坑節」との直接の関係は記されていません。[2] には「与論小唄」の歌詞があるものの、問題の「炭坑節」と「十九の春」との間で類似している句に似たものは見当たりません。他方、[4] は唄の里としての炭坑、「炭坑節」の誕生、から始まって、ラッパ節までを論じていますが、ここでも、歌詞の類似性までは述べられていません。いずれにしても、九州の炭坑労働者から沖縄へという経路があったことから、歌詞の内容の類似性の裏に潜んでいた句の類似性がどこかで浮上した可能性はあると思います。

Ted 01/12/2005 09:27
 [4] にはラッパ節の 1 番しか載っていなかったので、テディさんが全歌詞と関連サイトを書いて下さったのは助かりました。また、句の類似性のご指摘も鋭いと思いました。
 軍隊を風刺する歌詞は、口から口へ伝えられ、私的な場でのみ大いに歌われていたのでしょう。私も、どこで覚えたのか、ラッパ節の1番の歌詞は、戦時中の子ども時代から知っていたような気がします。

テディ 01/12/2005 23:18
 Ted さんが子供時代からラッパ節を知っていたということは、大日本帝国憲法下においても庶民の厭戦的空気は表に出せないまでも、かなりある部分では存在していたということなのではないのでしょうか。今憲法の改正や戦前への回帰を主張する勢力が声高ですが、憲法の改正(悪?)や皇道的な教育への回帰を主張する者の見通しがいかに甘いか、自己撞着的であるか、ということでしょう。憲法を変えれば、教育を変えれば、国のために(本音では自分らのために)命を喜んで捨てる人間が増えると思っている。彼らはかの A 国 B 大統領とほとんど同じレベルですよ。

Ted 01/13/2005 08:09
 全く同感です。

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