2005年1月14日金曜日

芥川賞作家の日本語知識

 2000 年に芥川賞を受賞した作家で、ミュージシャン、俳優もしている町田康が、最近の随筆 [1] の冒頭に「待ちに待った一月元旦」と書いている。辞書を引いてみるまでもないが、念のため『広辞苑』を見れば、「元旦」とは「元日の朝。元朝。また、元日」であり、「元日」とは「年の初めの日。正月の第一日」である。したがって、「一月元旦」というのは「馬から落馬」というに等しい。私が貰った賀状を見ても、2005 年元旦や平成 17 年元旦はあるが、一月元旦となっているものは一つもない。

 ノーベル賞物理学者の Murray Gell-Mann が、読んでいる書物の一部に間違いがあれば、残りも信用できないので、読む気がしなくなる、というようなことを書いていた。私もそうである。しかし、町田の随筆は短いので、我慢して読み通してみた。終り近くに、「私は一月元旦に早くも挫折した」と、再度「一月元旦」が出てくる。「ここらで私もそろそろエビの殻を自分で剥けるようになろうかな」と思ったが「エビはぼろぼろになってしま」ったという、それだけの話である。彼の文筆にも挫折が見られるといわなければならない。

  1. 町田康「不器用者の正月」、しんぶん赤旗 p. 9 (2005 年 1 月 12 日)。

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

*maho 01/14/2005 12:08
 なるほど。「後で後悔する」っておかしいな、と思うのですが一般的に使われていますよね。おかしくないのかしら。

Ted 01/14/2005 15:20
 「後で後悔」や「一番最初」は、強調の意味での重複用法でもあり、口語表現としては慣用的になっているようですが、文を書くときは使わない方がよいのではないかと思います。

Y 01/14/2005 21:39
 町田康じゃだめですよ、もちろん毒と面白みの強い作家で、その個性で芥川賞を取りましたが、彼なら余裕でその程度の日本語間違いをするだろうということは予測がつきます。
 芥川賞作家といっても語彙からして、様々ですね。やはり、大江健三郎になると素晴らしいし、私は小説を書いていた頃、辞書を引きまくって彼の語彙を勉強していましたが、もっとさかのぼって、たとえば東大系の作家でも、一番読みやすく、辞書など引く必要ひとつもなく、それでいて本当に上質で深く、胸にくる作品を書く作家は太宰治ですね。他の東大系となると、川端康成、三島由紀夫、皆、読みやすくはないですね。京大からはあまり出なくて、井上靖、だったかなあ? (確認していません)
 ところが作家は大学中退や学校中退の人が大勢いる世界です。日本語を正しく使える人と思ってはいけませんね。その意味では、昨今の新人賞レベルをはるかに超えた文学の基礎をもっていて、「介護入門」での芥川賞受賞作家、モブ・ノリオは自由な乱暴な作品を書いているようで、新潮など各社の編集者が奈良の彼にまで会いに行ったところ、その文学の基礎はすごいそうですよ。ホント、色いろが通用する(しない)世界です、作家は。私はもっと着実なことがしたいと気づきましたね。

Ted 01/15/2005 09:17
 井上靖は、略年譜によれば、金沢の第四高等学校理科甲類、九州帝大法学部英文科(中退)を経て、1936 年に 29 歳で京都帝大を卒業(文学部哲学科で美学専攻)、となっています。
 私から見れば、文学は色いろが通用し過ぎる世界のようです。

Ted 01/15/2005 11:26
 平野啓一郎も京大卒!

poroko 01/14/2005 22:43
 山田悠介氏にはかないますまい。町田康さんは昔面識があったので(数回会ったことがある程度ですが)その当時のことを思い出して懐かしい気持ちになります。
 「一月元旦」というのは、小学生の頃やった間違いのように思います。年賀状に書いたことがあるような気がします

Ted 01/15/2005 09:27
 山田悠介氏、スピードとスリルのホラー小説作家ですか。私は町田も山田も読みません。
 年賀はがきの制度が始まったのは、私が中学生のときですから、私はその頃、雑誌『少年クラブ』あたりで、「一月元旦」が間違いということを知ったと思います。

poroko 01/15/2005 22:19
 山田悠介氏は読んだ人の感想が物凄いので興味を引かれて、学校図書館で借りてみました。(Ted さんがお読みになるには及びません。)

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