2005年1月6日木曜日

亡き友 KZ 君を想う

 高校 1 年の冬休みの日記から 2 日分を引用する。英文で書いている日があるところなど、最近のブログと変わらない。三つ子の魂百まで。

 登場する KZ 君は早熟の文学青年だった。高校 2 年の途中で東京へ引越し、学習院大を出て、H 社に勤めたが、40 歳台前半で死亡した。学会で東京出張の折、彼に会おうと思って電話したところ、夫人から数日前に亡くなったと告げられ、三鷹市の家へお悔やみに参上することになったのだった。病気だったのかと聞くと、いろいろありまして、ということだった。

高校時代の交換日記から

(Ted)

1952 年 1 月 5 日(土)雨

 「(…死、生命、永遠、さういった事柄も、それを理解しうるに足る大きな器官をもったものには、じつに簡単なことなのであらう)」という、『赤と黒』第 44 章におけるジュリアン・ソレルの考察や、その前に書いてある漁師と蟻の例え、ぼくもよくこういう考え方をする。



 北国書林へ行ってみたが、MR 君は昨日でアルバイトをやめたのか、いなかった。歩き続けて、KZ 君の家で、紺がすりを着た彼が「上がれ」といってくれたときは、靴下が湿っぽくなっていた。学課に関する話を少ししてから、彼は「さて、用件は?」と聞いた。しまった!と思った。KJ 君や KB 君を訪ねるようなわけに行かないことを忘れていた。火鉢の中で、火ばしを灰の中へ押し込みながら、短時間で答えを出さなければならなかった。そして、A 先生を訪ねないか、といってみたが、なお、「それから?」と来た。年賀状に書いた言葉がたたったのだ。「君にいいたいことがたくさんあるようだ。君に習いたいことも…」と書いたはずだ。
 「それが、どういったらよいか分からないのだ。」
 「分からないというのなら、その対照としての分かる部分があるだろう。」
 「ぜんぜん分からんのだ。」
と、つまらない会話を続けた。急に KZ 君は、
 「分からんといっていることが分からんぜ。」
と、目をとがらせていって、腕を組んで頭を伏せたりする。何も真剣に考えていなかったぼくは、笑いをこらえる工夫が必要だった。
 「板門店会談は不成功だな。」
と、KZ 君は例えた。英会話のレコードを一枚聞かせてくれてから、
 「失礼かも知らんが、いまから寝る時間だから。」
といわれて、腰を上げた。おざなりにいい出した A 先生訪問を実行しなければならなくなった。

1952 年 1 月 6 日()雪

Called on Mr. A with KZ. Mr. A told us about effective methods of study and memorizing. KZ may have been interested in such a story, but I was not at all. KZ asked Mr. A who visited him often these days among our classmates of the elementary school. Mr. A mentioned H. I., R. F. and some other girls as well as HY's mother, and told us that HY, who entered Koshi-fuzoku senior high school, never went to bed before 12 o'clock at night to study hard.

Mr. A told us also about his middle school days at Kanazawa Shogyo. He said that it was a wild and violent life, that we should walk along the way lying between an uncivilized age and a civilized one in our life and that our natural desire to become cultivated persons should be satisfied by the society. It was noon when Mr. A finished another story about scientific miracles, so that we said, "Pardon us that we disturbed you."

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