2005年1月24日月曜日

悩みとは白壁になされる落書き

高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952 年 1 月 24 日(木)曇り

 あんな問題ばかりだったのなら、出るのじゃなかった。アセンブリー時のクイズ・コンテスト。司会は新文化委員長のSM君だった。A、B 各チーム 7 名で、交互に出題され、問題によって1分あるいは 30 秒で、分からなければ相手チームが、それも分からなければ場内から答えるという形式だったが、SM君は何度も「では、こちらで答を申し上げます」といわなければならなかった。
 どこの都市が好きかというヒントで「ウイーンの森の物語」、宿題はできたかというヒントで「未完成交響曲」のレコードが鳴らされるという具合だ。KZ 君のようにレコードのコレクションでもしていないと分かりっこない。薬品名をいわれ、何に効くかを答える問題は一つも正答が出なかったようだ。得点が何対何だったのか、聞いてもいなかった。
 後半の 2 年生の部では、曲を聴いて、その作曲者のイニシャルをつなぎ、BCG とか bird とか答えるのや、米国の映画会社名を五つ答えるのや、ヒントからこの学校は何学校かを当てるのがあった。ジイドの「女の学校」、「足利学校」(この時廊下へ出ていなかったら、壇上に腰掛けていただけで貰ったノートの他にもう一冊貰えるのだった)、「やまびこ学校」などだった。2 年生出場チーム同士の得点は 3 対0だった。

 KJ 君が早速眼鏡をかけて来た。不慣れなための、少しばかり当惑的な彼の心理状態が理解できる。

 どう表現したらよいか分からない何ものかが、あらゆる面から、そうだ、いまや存在する限りの圧迫が自分の周囲を取り巻いて、ひしひしと押し迫って来る。——「悩み」は白壁になされる落書きのようなもの。閉じよ!

[引用時の注]

 レコード曲をヒントにした多くのクイズ問題は、音楽クラブ所属の上級生の出題ででもあったのだろう。引き揚げからまだ5年後、音楽に親しむ手段としてラジオしか持たなかった私にとって、それは腹立たしい出題であった。最後の「閉じよ!」は、日記帳のことをいっている。

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

四方館 01/24/2005 12:28
 思春期の頃は、自分の心を、白い壁や無地のキャンバスに喩えられるのがいいですよね。今はもう、シミだらけの得体の知れないダークトーンです。

Ted 01/24/2005 16:11
 人生百年と考えれば、四方館さんには、まだ無地のキャンバスがたくさん残っていますよ。
 高校時代に「悩みは白壁への落書き」と書いたのは、白壁に落書きがない状態では、落書きをし難いけれども、一旦誰かが落書きをすれば、後はどんどん落書きが増えるように、悩みについて日記に書き始めると、悩みが増幅作用を起こして、どんどん肥大しそうだ、という意味です。

Y 01/24/2005 22:38
 最後の三行なんか、高校時代の Ted さん、すでにして本当に素敵な文章を書かれる繊細で明晰な方だったんですね。さすがですね。高校時代の日記、どんどん紹介してください。
 四方館さん、そんなこと言われないで、今がかろやかな可能性のある頃まっさかりじゃありませんか。
 それにしても実に難しい音楽クイズの問題だったのですね。私はクイズは苦手です。センター試験も苦手でした。

Ted 01/25/2005 13:12
 高校時代の私は内向的な性格で、そのことが大きな悩みの一つでした。しかし、その悩みを日記につづればつづるほど、悩みが膨らんだようでした。私が Y さんに、ご病気のことをあまり書かれない方がよいのでは、といつか書いたのは、この頃の自分の経験を思い出してのことでした。

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