2005年5月21日土曜日

自作小説への反省

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年8月14日(木)晴れ

 英語のほかの一切を顧みないで専念し、やっと、小説は最後の一節を書けばよいことになった。いろいろな資料のよせ集めのようで、筋がはっきりしていないし、具体的な事件が少なくて、ほとんどが主人公の思索であるということも、これを読む誰でもに少しの興味もわかせないであろう原因を作っているのではないかと思う。
 二節の終りで「すっとした」稔が、三節で《この一週間は変な焦燥と不安の連続だった…》と思うのと、絵が陰うつになることから一挙に悩みに突入するのは、どう考えても唐突だ。
 何といっても、「事件の発展」を中心に置かないで、「思索の発展」をそこに置いたことが、小説らしくなくなった原因だ。思索や情景の細部は、自分が実際に感じて記しておいたものを使えば、より実感が出るかと思って、いままでにわれわれの通信帳で Sam に読んで貰ったものをたくさん取り入れたが、それがかえっていけなかったかも知れない。それは一貫性を減らす役割しか果たしていないようだ。Sam の書いてくれた「談話は方便」というソローのことばを使わせて貰ったよ。あと一節、といっても七枚くらい書かなければならない。普通の作文の長いもの一つほどの量だ。
 Sam 以外の人がこれを読めば、よほどの推理力を働かせない限り、稔が敏夫に書いた葉書の内容は理解出来ないかも知れない。事件の発展だけを追う読者には、路傍に落ちている石を見るよりもつまらなく感じるだろう。良のところへ行く途中の稔と繁行の会話は遊離的のようだ。「あらゆる思惟の実現する世界」について話していて、「無感情の世界」を思い出すのも無理だった。
 「新感情蘇生の瞬間」を長ながと説明しておきながら、次にそれの起こるのが夢の中だというのも苦しい。野間が初登場する場面はぎこちない。だいたいにおいて、力の入るところと、そうでないところとの区別のない、一本調子だからいけない。――まとまりなく書いたね。――
 悩みは悩みらしくなく、解決は解決らしくなく、中心事件なく、まとまりなし、というないないづくしがこの小説かも知れない。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

のぞみ猫 05/21/2005
 小説書くのって、案外、簡単なようで難しいですよね…。私も、もう1つのブログにオリジナル小説を描いて掲載しているのですが、読み返せば返すほど、「あぁ、ここも直さないと~」と思う箇所が増えます…。

Ted 05/21/2005
 のぞみ猫さんの初コメント、ありがとうございます。もう1つのブログというのを訪れてみましたが、「Novels☆休止中」となっていて読めないようで、残念に思いました。近日中に公開されるのでしょうか。私の高校時代の創作へのリンクは、明日掲載予定のブログに設けます。お読みになって、ご感想をいただければ幸いです。

Y 05/21/2005
 私は、事件性にあふれた小説はそれこそあふれているので、個人的思索の発展を中心とした小説は興味深く思いますが、それは私が極端に内省的な性格を元来としているからなのだと思います。それでも、ドストエフスキーやカフカの小説中の主人公の個人的な思索についていったり、川端康成の描く主人公の感性に最後までついていくのは、なかなか大変です。Ted さんの書かれた小説も、描写がきっと細かくて、じっくりたどって読めば面白く、ざっと読もうものなら難儀するような小説だったのではないかな、と思います。私も、今、断然学問の(ある意味)ドライな世界でものを書くほうが、楽で進みやすいものですから、この時の Ted さんのご苦労はわかる気がします。

Ted 05/21/2005
 このときの作品「夏空に輝く星」(Sam はこの題名を見て、「花火の名前のようだ」といいました)は、拙いものですが、青春の記念としてホームページに掲載しています(明日のブログにリンクを設ける予定)。お暇の折に読んでいただければ幸いです。どんなジャンルのものでも書けばよかった夏休みの国語の宿題で小説に挑んだのは、小学校6年からの文学好きの友人・KZ 君の影響があったと思います。彼は中学3年の時に小説を書いていました。

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