写真はイタリアのナポリ・カプリ島間の高速船から見た奇岩群(2003年5月13日写す)。
高校時代の交換日記から
(Sam)
1952年7月1日(火)雨
スイカを食った! といっても、西瓜ではない。水禍だ。犀川は濁流うずまいて流れたが、橋梁の流失することも、堤防の決壊することもなく、ぼくの家もまず安全だった。ただ、便所の屋根が空から降ってくるものを完全にさえぎることができなくなって、水でビシャビシャになったのには困った。Ted の家は高地にあるから、こんな時は、水の威力を高所から傍観することは容易であっても、家が直接憂慮されることはなかったであろう。
夏休みを間近に控え、学期末試験の日割りが発表になる。九、十、十二の三日間である。
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
四方館 05/07/2005 11:12
昨年は夏から台風の襲来が続きましたが、これは夏台風ではなく集中豪雨の災禍ですね?
Ted 05/07/2005 13:27
北陸では7月頃にときどき豪雨があります。1944年7月、私は石川県七尾市にいて、国民学校3年生でしたが(その年の9月に大連へ移りました)、大水がありました。わが家は床下浸水程度でしたが、前の道路が川のようになって、泥水がとうとうと流れていました。その思い出は東条内閣総辞職、小磯・米内の協力内閣成立と結びついています。いま歴史書を見ると、確かに東条内閣総辞職は1944年7月18日とあります。
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