2005年5月27日金曜日

長浜の舎那院 / 先を急ぐ旅人として


長浜の舎那院

 写真の舎那院は、814(弘仁5)年、弘法大師の開創と伝えられている。1500年代に一度、兵乱によって消失したが、豊臣秀吉が再建した。木造の愛染明王坐像である本尊と、秀吉が一族の祈願のために献じた阿弥陀如来坐像が、重要文化財に指定されている。(JR 西日本「駅からはじまるハイキング MAP」による。写真は2005年5月23日撮影。)

先を急ぐ旅人として

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年8月18日(月)晴れ

 朝、Jack が「恐ろしい、嬉しい、大ニュース!」と叫んで、上野学園へやって来た。Sam が3週間前の日曜に出場したものに出られることになったそうだ。県体のこと、和田信賢のこと、放送劇のこと、三角関数のこと、彼の兄が明々後日に帰ってくることなどを医務室で話して行った。

 いまのぼくはどんな思想を持っているというのだ。嫌悪すべき感情以外の何ものもない! ない! 和田信賢はこの世にいなくても、多くのものを放送界に残したから、「ある」といってもよい。が、ぼくのこの小さな頭の中には、まだほとんど何もない。ない。ない。このことを知れ! ここにいたって、ぼくは完全にソローのことばを肯定し、一昨日のことについては、そうなったことがかえってよかったことと、ぼくが悪かったこととを認める。昨日、「われわれは悪かったのではない」と書いた。そのことばは、ある範囲では純粋に成り立つのだが、今度の問題のあらゆる局面をもれなく考慮に入れたものとはいえない。――こう書いてみたが、まだはっきりしない。――
 何かの芽が路傍の土をもち上げて頭を現したとしよう。そこをとおりかかった二人の旅人の一人が、これは何なにの芽に違いない、といえば、もう一人が、いや、ここがこんな格好だから何なにだろう、という。しかし、どちらも相手の主張を完全に否定は出来なくて、彼らの結論はどちらへも落ち着かない。もしも彼らにそれを徹底的に調べる余裕があれば、それが何であるかを研究し始めるだろう。しかし、彼らが先を急ぐ旅人ならば、次にそこを通るときにはかなり成長しているだろうから、それを見ようということにして、ずんずん歩いて行くだろう。また、もしも彼らの主張しあったものが、そのどちらでもなく、彼らにとって未知のものだったとすれば、彼らは先の道を歩むことによって、それと同種のものをしばしば見出して、それが何であるかを知るようになるかも知れない。――ぼくは、先を急ぐ旅人として自分の道を歩み続けよう。芽を出した植物の名前はそのうちに分かるだろうし、歩くことは旅人の使命なのだから。――

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 05/27/2005
 この頃の Ted 少年はもとより内省的性向とはいえ、悩める多感な思春期のもっとも熱き時代だったのですね。

Ted 05/27/2005
 日記に書くという操作によって、悩みはいささか誇張されたきらいがあります。青春の悩みは大学生時代までも続きますが、その頃は高校生時代よりも、自分への信頼感が強くなっていたようです。

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