写真は、ツツジ咲く小公園で、人数不足ながら男女対抗ソフトボール試合を楽しむ子どもたち(2005年5月7日、堺市笠池公園で)。
高校時代の交換日記から
(Sam)
1952年7月23日(水)晴れ
帰りがけに老猫にかけたことばが気にかかる。たとえそれが思ったことをそのままいっただけのものであるとしても、他人様の可愛い所有物に対していったあのことばは気にかかる。もしこのことでぼくを非難する意思表示がなされた場合には弁解して貰いたい。どんなふうにいってくれてもよいが、「悪意がなかった」ということを強調して貰いたい。(1) [1]
(1)(Ted の欄外注記)5月頃のサトウ・ハチロー作詞のラジオ歌謡「トランプ占い」[2] のように、つまらないことを気にかけなくてもよい。
1952年7月24日(木)晴れ
この頃になってまた始めた速記文字の練習は、依然として遅記である。ぼくの現在のタイプの毎分の打字数とほぼ同じくらい書けることになれば、一応はなんでも書ける、すなわち役に立つのだが、現在のままでは、講演中にしばしば講師にタイムを要求しなければならないようなものだ。
生徒会の帳簿を整理しなければならない。面倒で利益のない職務だが、やむを得ない。よい体験になるだろうことは間違いないのだが、宿題の方がそれだけできなくなるのが辛い。
八時からというのが九時になってようやく、青年部の総会が開かれた。全市的にそういうことになっているので、ということで、これまで別べつに活動していた男子青年部と女子青年部が合併して、「青年部」として活動して行こうとするのである。まことに結構である。それが普通だと思うから。
引用時の注
Sam が、私の間借りしていた家の家主の飼い猫に対して、家主の娘さんの前で何か失礼なことをいったのだったか。
「…/折れてるハートが気にかかる/なまじ1ゆえ、エースのゆえに/何だか気になる気にかかる」というような歌詞だった。
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
四方館 05/11/2005
速記の練習というのは、そういえば当時、商業過程では必須のようになっていたのですね。4年長の次兄が商業だったので、たしか習っていたなと、憶い出しました。
Ted 05/11/2005
速記では頻出の言葉に対する特別な記号もあるようで、Sam が「なければならない」はこう書く、といってくれたのをわれわれの日記で愛用していました。それで、必ずしも「なければならない」と書かなくてもよいようなところにまでも、よく使ったので、それを普通の文字で入力するのは骨が折れます。「なければならない」の記号を少しもじったものを、われわれの間でだけ通じる「かも知れない」の記号として使ってもいました。
四方館 05/11/2005
ハハハ、これは申し訳ないですが、笑えますね。二様に使われていたのなら、余計に面倒ですね。
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