「高校時代の交換日記」は、下に引用する分で14冊目のノートの終りとなる。裏表紙の内側に左に掲載のスケッチがあり、「上野学園の窓から。きょう行くのが最後だったので、ちょっと描いておいた」と説明書きがある。見えているのは前田家の墓地もあった天徳院裏の、赤松の多い林。上野学園に近い部分では、多くの木々が伐採中だったようである。その後、前田家の墓は野田山へ移転し、この辺りに小立野小学校が建ったと思う。
(Ted)
(続)1952年8月19日(火)晴れ
昼食後、Twelve のところへ行って少し話してきた。休み中ずっと家にいるらしいが、まだ宿題は出来ていないそうだ。
イネの波とハスの葉とシャツをふくらませる風と日光と青空と雲の中にたたずんだ。時のひだに触れてみた。誰かぼくと共に、この輝く自然の気分に浸ってみたいものはいないか、と考えた。風に吹かれて白っぽい緑の裏を見せたハスの葉は、KZ 君を思い出させた。しかし、彼がつねに発した詩的なことばも、ぼくを満足させなかった。声を出したくなって、誰もいないのを確かめてから、「ヘンリー・ダヴィッド・ソローは」といってみたが、声にならなかった。――家へ入ると、外の輝きから自分だけが見捨てられたように感じられる午後だ。――
「眼鏡をかけた坊主頭の学生さん」と、司会のアナウンサーから紹介された Jack への問題は、第1ヒントで答えられなければならないものだった。Sam といい、彼といい、タバコに縁があるようだ。
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
Y 05/30/2005
素晴らしいスケッチ、Ted さんの最近のもの? と思いましたら、この交換日記に添えられたものでしたか。説明がなければ大人が描いたスケッチだと思ってしまいます。Ted さんは基本として、直線が非常に得意でいらしたのですね(これまで拝見した絵からも)。私はそれが駄目なのです。手がとても不器用ですからね。
今、(逃避行動ではなく)ヴァイオリンを何ヵ月ぶりかで、少し弾いたのですが、不器用で大雑把な代わりに、女性でこんなに力のある弾き方をする人は耳にしなかったな…と改めて気づきました。Ted さんも私も恐らく、人柄通りということと、研究をしても、三つ子の魂百まで、ということは強く思います。Ted さんの完成度の高い交換日記を読ませて頂いても、今(まで)の先生にまっすぐにつながっているように思います。
日記は第二段落が、細分化されすぎない心的描写で、けれども未来ある高校生を感じさせて非常に良いですね。「…ハスの葉は、KZ 君を思い出させた。」確かに毎日の生活でこういうことはありますね、けれども私たちはそれを描写することを忘れてしまっているのが、とてももったいなく思います。ですが、私たちの心に再・描写されて(あるいは reflect されて)いれば、それが「私にとって貴重なこと」と思います。それを文字に表すと必然的に、自己内他者を含めて、他者たちへ向けての物語性をおびる…ということで、出来事そのものとの関係性の中で「物語を物語るということ」(今の先生の一連のブログでの日記のご紹介も)の意味探究、これは私の教育学の恩師が専攻されていることでもあります。
Ted 05/30/2005
スケッチは、もともと少し黄色みをおびていたのがさらに年月とともに変色した表紙裏に、HB の鉛筆らしいもので描いてあったので、スキャナーで最初に取り込んだときは、うまく再現できませんでした。そこで、3B の鉛筆でところどころなぞって、スキャンし直し、画像処理ソフトで一旦グレイ・スケールに変換し、明るさ調整をし、それから色を褐色に変えました。
「…ハスの葉は、KZ 君を思い出させた」には、理由があります。実は、交換日記ではKZ 君を "Lotus(ハス)" のニックネームで記していたのですが、ブログに引用するに当たり KZ 君に変えたのです。KZ 君の勉強部屋には「僕の愛人は勉強である」と書いて貼ってあったので、lover of study から lo と stu を取って並べ替え、Lotus のニックネームを私が作り、日記上でだけ使っていたのです。
「物語を物語るということ」の意味探究とは、興味深いテーマですね。
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