2005年5月29日日曜日

玄宮園 / アインシュタインの空間概論


玄宮園

 写真は彦根城の四代藩主・井伊直興によって造営された玄宮園。中国唐時代の玄宗皇帝の離宮になぞらえた池泉回遊式の大名庭園として、江戸時代初期の文化をいまに伝えている。中央に国宝の彦根城天守が見える。(由来は JR 西日本「駅からはじまるハイキングMAP」による。写真は2005年5月24日撮影。)

アインシュタインの空間概論

 【概要】M・ヤンマーの空間の概念に関する著書 [3] に、アインシュタインが前書きを書いている。それは同概念の歴史についての非常によい理解を与えてくれるものであり、私は、ヤンマーの著書は第3版で追加された「最近の発展」の章だけを読めばよいという気にさえなった。アインシュタインは、空間について (a) 物質世界の位置という性質であるとの考え方と (b) すべての物質の器であるという考え方の二通りがあると述べ、(a) によれば物質のない空間は考えられず、(b) によれば物質は空間に存在するものとしてのみ考え得る、と説明している。さらに、ニュートンの絶対空間の考えは (b) に対応するが、この考えに抵抗したライプニッツとホイヘンスの (a) に対応する考えが、物理学の基本的概念が物質から場に取って代わられるに従い、支持されるようになって来たとして、「場なしに空間なし」ということばを記している。[本文(英文)はこちら

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]


Y 05/29/2005
 仕事などで手一杯の状態で、しばらくお休みしていました。また他のブログ記事を読ませていただきます。興味深いお話を、ありがとうございます。
 (1)「場=field」ですが、この field が物質世界の位置である、というのは、どのような座標軸(次元、観点)から定められる「位置」なのでしょうか? 物理学において空間の「位置」がどのように定められるかをお教えいただければ。
 (2) 確かに、この「場=field」の考え方ですと、independent, absolute な空間はもはや必要ないと思えますが、「位置」としての空間は、(b)のような容器的性質を一切持たない、純粋に「位置」としての空間になるのですね? 定義からするとそうなのですが、私たちの日常的な空間理解だと、物質を存在させる容器的性質が空間にあると思い込んでしまうものですから。

Ted 05/29/2005
 まず、「場」と「物質世界の位置」の関係について説明します。最近の物理学では「場」の方が「物質」よりも基本的で重要な概念になっているので、空間についての (a) の考え方において、「物質世界の位置という性質」は「場の世界の位置という性質」という言葉で置き換えられます。場のいろいろな場所=位置での強さを表すためには、座標とその関数としての場の量を使いますが、座標系はいわば便宜的なもので、原点をどこに取ろうとも、また、向きをどのように取ろうとも、また、どのように運動していようとも、物理現象の記述は同等に出来るのです。したがって、存在の主は「場」であり、空間を構成する「位置」は、「場」のあるところでだけ意味のある召使いのようなものだということになります。「場」のないところに位置を想定しても無意味、つまり、そこには空間もない、というわけです。
 上の説明から、「位置」とはどのような座標軸から定められるか、に対する答が、どのような座標軸でもよい、となることがお分かりと思います。ただし、加速度をもって運動している(宇宙の全質量分布を基準として)座標系を利用すると現象の記述が一見煩雑になるので、普通は等速運動をしている座標系(速さ0の系—静止している系—も含む)が利用されます。
 日常生活の範囲では、ニュートン力学でほとんど話が片づきますので、空間の概念としても、(b) のような、ニュートンの絶対空間を頭に浮かべて差し支えないのです。(a) のような空間は、哲学や先端物理学においてのみ重要といえるかも知れません。

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