高校時代の交換日記から
(Ted)
1952年8月3日(日)
Sam と対等で実行したい、と書いたね。だから、もしも Sam が、そこへ行こうという意志と、行って何かを得たいという意志において、ぼくと同程度でなければ、今度の場合、われわれは行くことが出来ないのだ。[1]
1952年8月4日(月)晴れ
きょうの午後をもっと愉快に過ごすための権利と義務と責任がぼくにあったはずだ。Sam と Jack はどうだったか知らないが、ぼくは、そこに不満足を見出した。われわれがそうなってしまった責任の6割くらいはぼくにあったと思われる。――いや、こういうことは問題とするに足りない。[2]
こんなに陰うつで重苦しく無変化なものは、小説にならない!! [3]
引用時の注
さんざんちゅうちょしながらも後日実行した件についての記述。関連の記述は翌々日以後の日記にも見られる。
この日の午後、3人で何をしたのかは、思い出せない。
1年あまり前からの交換日記をネタに、夏休みの宿題としての小説の筋を考えてみたのだった。8月15日には原稿用紙約50枚の作品を完成している。いま思えば、意外に速い。
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
Y 05/17/2005
最後の行まで、面白いですね。何の訓練もうけていないのに、この文章を書かれるというのは、Ted 先生が新聞部にいらっしゃって、新聞をよく読まれ、また作られる生活を送っておられたことからくるのでしょうか…。「…という意志において」「…と思われる」という表現は、後者は私は大学の心理学実習で、前者は哲学関連分野で初めて習いましたのでね。また注3を導く、最後の一行は面白くたのもしいですね。
Ted 05/17/2005
私の高校時代の文には、新聞部活動の他に、漱石やトルストイ、その他の文学作品をよく読んでいた影響が出ていると思います。
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