2005年5月4日水曜日

伝統の新聞部対抗ソフトボール試合


 写真は泉北下水処理場の脇で(2005年5月2日)。

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年6月14日(土)

 七尾へ行った疲れで昨夜は早く寝たが、きょうの二つの試験はたいしたこともなかった。しかし、計算違いなどしなかったら、もっと快かっただろう。
 伝統を誇る二水対菫台の新聞部対抗ソフトボール試合。第1試合は14 – 0で大敗したが、次の試合は1 – 1から延長戦となり、8回表に二水が1点を挙げれば、こちらがその裏2点を返して、3A – 2で勝利をものにした。三塁を守りトップを打っていた少し細長い KS 君というのが編集長かい? Sam も来ればキャラメルを一箱ご馳走したのに。タイプの方が忙しいかい? 2試合を通じて、ぼくは2四球と1安打を奪って、6打数2安打の Jack と同率だったが、得点には少しも貢献できなかった。HM 君と UN 君は7本に2本、二水の2年生で6本に4本という、ずば抜けたのがいた。試合後、二水チームを編集室へ招き入れ、HM 君とKS 君は将棋の勝負を試みた。
 昨日 Sam に M・K 先生の時間があったとすれば、休講だっただろう。今度は先生をよく拝顔したが、4月17日の絵はだいぶん違っていたね。眼鏡をかけておられなかったが、前にかけておられたと思ったのは、勘違いだっただろうか。高文連新聞部理事会は七尾高校の図書室で行われ、会長(理事長か)の小松高校 NK 校長が、あごの先よりもずっと奥の方にあって、その両側に()型のくぼみをたくわえている口で、巧みなユーモアを交えながら司会をされた。生徒代表委員は思ったより少なかった。新聞コンクール、新聞研究委員会の開催、機関誌の発行の三つが議題で、2時間話し合い、3時に終った。M・K 先生は前回の研究会のときと同じく、始めのうちずーっと他の人たちの意見を聞いていて、後になってから、ずばずばと、ところどころ語尾を長く引っ張り、舌を上下のあごにしっかりと打ちつけ打ちつけ発音するような話し方で意見を吐露された。

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