2005年5月5日木曜日

われわれの持ち合わせていない何か


 写真は堺市八田北町の泉北スポーツ広場に沿う並木。左前方にスポーツ広場がある(2005年5月2日写す)。

 高校時代の交換日記から

(Sam)

1952年6月14日(土)晴れ

 三限と四限の間に長土塀郵便局まで行った。ちょっとした金を送るためであった。IS 君が連れだってきてくれた。四十七円五十銭払い、無事用件をすませて帰校したら、幾何の時間に十分ほど後れていた。
 買手と売手で双方の条件が一致しなければ、売買は成立しない、ということはよく知っているのだが、なかなか難しいものだ。きょうもとうとう見つけられなかった。一冊十円以内であること、現金は後払いであること、たったこれだけの条件なのに――。
 たいへんな人出だ。香林坊から武蔵が辻へ行くまでに何回も足を降ろして止まらなければならなかった。

1952年6月15日()晴れ

 リーダーなどをしているうちに午前は終ってしまった。
 きょうの午後はすべて有意義だったかな? Ted もぼくも持ち合わせていないものが何かあるね。どちらか一方にそれがあれば、もっと充足した時間が得られるのだが――。Ted が尻込みする理由を、別の方面から考えなければならない。

1952年6月16日(月)雨

 M・K 先生の時間に、次の時間の内職をしていて、たしなめられたが、やり遂げるまでは、止める気になれなかった。四限と六限が入れ替え、H は、ぼくがホームに本年度予算作成についての報告を行い、そのあとで HR アドバイザーの説話を聞いた。

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