2005年5月4日水曜日

Life's Speeding Up at Higher Ages (歳とともに人生は速くなる)

 概要:表記のことを題名にした本 [2] の批評 [1] が Nature 誌に掲載されていたので読んでみたが、その書評中には、そのことの理由までは紹介してなかった。インターネットの書店・アマゾンのウエブサイトで顧客による同書の書評 [3] を見たところ、親切にもその理由が書いてあった。定説はないが、1890年にウィリアム・ジェイムズが次のように説明しているそうだ。若いときには毎日新しい経験をするが、歳とともに毎日・毎週・毎年のことは日常化し、均されて、記憶に残るような時間が少なくなる。そこで、振り返ってみると、記憶の一杯詰まった時期が、長かったように思われるのである、と。(本文は英文のみ)

We sometimes say, "Time passes faster as we get older." But this is a strange expression, because we cannot define the speed of time. In physics speed is defined as the distance traversed by something within a unit time, and time is not the thing that travels through space. In everyday language the concept of speed is also used to refer to the frequency of some event happening within a unit time. For example, we say about a woman who utters many words within a given duration of time, "She speaks quite quickly." However, time is not an event happening along time either.

In the latest issue of Nature I found a review [1] of the book entitled "Why Life Speeds Up As You Get Older" [2]. "Life speeds up." -- This seems to be an appropriate expression. The appropriateness comes quite naturally; the author of the book, Douwe Draaisma, is a historian of psychology at the University of Groningen in the Netherlands. I wanted to know what was the author's answer to the question "Why does life speed up as you get older?" and read the review.

The reviewer, Yadin Dudai of the Department of Neurobiology, Weizmann Institute of Science in Israel, writes a brief introduction to the science of memory in the first half of his review. Note that the subtitle of the book reviewed is "How Memory Shapes Our Past." So, I noticed that the central theme of the book is not human perception of time but memory.

From the review we learn the followings: Memory can be classified into "declarative memory" and "non-declarative memory." The latter refers to bodily memory such as habits and modified reflexes. The former refers to conscious memory, and includes "episodic memory" and "semantic memory." "Episodic memory" is mental travel to the personal past, usually involving some re-experienced emotion. "Semantic memory" is acquired information transparent to conscious awareness and not always related to unique personal experience.

Dudai then tells us these: Draaisma's book reminds us that an interest in memory is primarily synonymous with a wish to understand the joy and sorrow of personal memory, i.e., "episodic memory." The book is a fine collection for memory lovers who will appreciate the facts it contains as well as rich metaphors. The title of the book comes from one of touching essays included in it. -- Oh, I could not learn the answer to the question "Why does life speed up as you get older?" --

Then I sought other reviews on Draaisma's book at Amazon.com Web site. There was just one good review written by a customer. The writer, Rob Hardy, is a psychiatrist and is ranked at the 50th among Amazon.com customers who send reviews (by the way, I am the 3537th). He kindly writes what I wanted to know as follows: There is not a fully accepted reason for that question. William James explained in 1890 that in youth, there were novel experiences, something new every day, but that every passing year brought routine which smoothed the days, weeks, and years into a collapse of time. A period full of memories, viewed in retrospect, seems to expand and be fuller and longer. [William James (1842 - 1912) was an American philosopher and psychologist, and was the novelist Henry James's brother.]


  1. Y. Dudai, Nature Vol. 434, p. 823 (2005).

  2. D. Draaisma, Why Life speeds Up As You Get Older: How Memory Shapes Our Past translated by A. & E. Pomerans (Cambridge University Press, 2004).

  3. R. Hardy, Evaluation of Our Real Memories (Amazon.com Web site, 2005).

 
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

Y (Nomura,Atsuko) 05/04/2005 15:24
 驚嘆するような「個人的に私の分野にとって」重要な、懐かしい単語の数々をあたえていただき、ありがとうございます。ですので、私の立場から述べていきますね。ウィリアム・ジェイムズはもちろん私の分野では哲学者として名を残した人で、私の大学院指導教授かどなたかの恩師が、ジェイムズ研究を過去になさっていたはずです。でも、Ted さんが捜し求められた、"Why does life speed up as you get older?" への答えですが、私も想像に過ぎませんが、歳を取るほどに時間は(時間の過ぎ去る主観的な感覚は)速い、ということで、日常的な感慨で納得できることだと思うのですね、私の歳ですと、まだ10年前と比較してもなかなかそうも思えませんが…もちろん別様・正反対の感慨もありますね。
 実は内容が、大変ついていきにくい、つまり、私の分野の問題そのものが取り上げられているのですが、「哲学の源流・発想」とはかなり異なる域で考察がなされているので、ともかくも「哲学→精神病理学」の立場から、以下、申し上げますね。
 Ted さんがお書きになった英文には、西田幾多郎の哲学の英訳としてぴったりだと私が思ったものが多く含まれています。awareness を「自覚」、reflectを「映す」、これらはぴったりだと思います。私は西田哲学は未だ専門外ですが、「自覚」は conscious を取り除いた(西洋哲学だと「超越論的に」常に既に判っている、ということになります)awareness だと思いますので(時間や自己についても、反省意識を限りなく、自己の感性に誠実に延ばし拡げていくと、常日頃意識しているような領域の事項は「解り切っていること」として取り払われる、つまり哲学では「未だ解明されていないこと」を解明していくので、「自明なこと」は解説不要にするのです、これは科学論文でも自明な先行研究の紹介は省略されると親友から聞いていますから、同様の面がありますね)。
 とにかく私は、英文の本文を読んで、episodic memory、この episodic には、やはり一面的な物語性を有した記憶、という印象があり(精神分析的には、そのように簡単に片付けてはならないのですが)、semantic memory の方を重視したくなるのですが、 "Semantic memory" is acquired information transparent to conscious awareness and not always related to unique personal experience." この通りだと思います、ただ、information という単語のみ、何かもっと奥行きを持った単語に変えられないだろうか、と思ったのですが、いかがでしょうか。とにかく私の分野では、生命性を深く有していない単語は使わない、という方針なのです、また英語についてお教えいただければ。
 "there were novel experiences, something new every day, but that every passing year brought routine which smoothed the days, weeks, and years into a collapse of time." はい、この通りだと共鳴します。
 私は以前、初めての哲学ブログで、タイトルを「哲学的センス=『体』で理解するもの」と端的に表しましたが、このブログは、「最低20年弱、生きてきた体の歴史があれば(哲学をやるには)十分です」といった文章で始まっていました。20世紀哲学・現象学は身体論だと説明していますが、もちろん精神病理の解明にこの上なく有益だったのですから、「心・精神を含む身体論」でして、たとえば「愛」や「体のセンス」や「Ted さんの水彩画の素晴らしいセンス」のようなものは、この身体や現実空間のどこにも、表層的な視覚でもって「発見する」ことはできませんよね、このようなものを「発見し、解明していく」のが現象学哲学です。
 私がやはり疑問に思ったのは、本ブログでご紹介いただいている中では、「時間」「空間」「記憶」「過去」などがどんどん連関させられているのに、「存在論」が見出せないことなんですね。哲学でも、堂々と存在論を書いた哲学者はまず少なく、ハイデガー『存在と時間』(これは未完の大作、何と失敗作でもありますが、不朽の名著です)が歴代、第一にくる名著でしょうし、私の修士課程での第一専門でもあります。
 『存在と時間』は恐ろしく魅力的な文体ですが、われわれは将来へ向かって自己(という表象、あるいは自己認識、自己認知)を「投企」し(=つまり、自分は未来において、このようにありうる、このような存在でありうるだろうという自己表象を「投企」する)、最終的にはたえず「おのれの死へ向かっての(時間を歩む)自分」というこの人生を、不安があろうとも受容する、という時間論ですね。たえず出てくるのが「世人」で、これは世の中の人々の総体、どの unique な私でもないような「世人的自己」に没入することなく、真に自己自身になりきること、が解かれるのですが、ハイデガー論への私の修士論文での批判は今回は省略します。
 私が統合失調症患者の「仕事論」や「作業療法」が、とよく言っていますよね。これはroutine に近い、それ自体それほど大きな社会的な意味は生産しないかもしれない「日常的手仕事」ですが、それが彼らのリハビリや「日常生活の形成、生成」に非常に良いと、考えられて実践されているのが、精神科医療の日常です。そのような「日常性」に徹して患者さんたちのために尽くしたうえで、「この人生を物語(ドイツ語ゲシヒテ)そのものだと」思える(そのように認識しえた)ということが肝要ではないかと、私は考えているのです。——理解しづらい点がありましたら、いつでもおたずねください。個々簡潔に、省略内容が多いままで書いていますので。

Y (Nomura,Atsuko) 05/04/2005 18:41
 現象学という哲学が扱うもの、もう少し書いておきますね。統合失調症患者さんが「自然な自明性の否定を生きる患者さん」だと現象学的に解かれていたのが、関連してお分かりいただけると思います。「葛藤」「皆に合わせる人付き合い」「不安」「会話や日常生活や恋愛の『ルール』」「この人生での目標」「死」といったものを扱う「身体論」なのです。また、では精神分析学の立場からだと、どんな見識をご提供できるのか、といったこともおいおい、お話できればと思います。「シニフィアン」(意味するもの)「シニフィエ」(意味されるもの=書かれた文字(などの記憶))など、今日の記憶時間のテーマとぴったりなのですが。

Ted 05/04/2005 21:36
 「実は内容が、大変ついていきにくい、…『哲学の源流・発想』とはかなり異なる域で考察がなされている」について:私のオリジナルな英文は第1パラグラフだけぐらいのもので、あとは書評の紹介(文としては書き換えもしていますが、用語は借用しています)なので、ここで取り上げた本の著者が心理学者、そして書評を書いたのが神経生物学者であることが、哲学とは異なった発想様式になっているのでしょう。しかし、本当は異分野間で通じる合えるような書き方をすることが重要だと思います。
 「semantic memory の方を重視したくなる」について:心理学の研究では episodic memory の実験は困難なので、確かに最近は semantic memory が重視されているようです。しかし、人びとが恐れるのは、episodic memory の喪失で、別の意味でこちらも重要といういことを Draaisma の著書は想起させているようです。Information の語は書評を書いた Dudai が使っているのですが、私も少しぴったりしない気もしました。どう言い換えればよいかは、ちょっと思いつきませんが。
 「疑問に思ったのは、…『存在論』が見出せないこと」について:記憶について、その基本から議論するには「存在論」が関わってくるでしょうが、Draaisma の著書は、記憶について人びとが疑問に思いがちな話題を随筆風に書いたものなので、「存在論」から説き起こすことをしていないのだと思います。

Y (Nomura,Atsuko) 05/04/2005 23:05
 はい、今一度、読み直してみました。大学院入試で普通に通ったぐらいで、10年近くまともに英語を読んでいませんので、加えて、上のコメントは私の研究分野の色を出しすぎて、ブログ本文にあまり丁寧に接しきれていなかったのと、異分野間での話が交わしきれていませんでしたね。
 一回目に読んだ時もそうですが、Ted さんのオリジナルな文と、他の心理学者・神経生物学者の方が書かれた論と、それからウィリアム・ジェイムズの論そのものとは、だいぶ読んでいて判別つくのですね。
 私は、ドイツ語・フランス語交じりの日本語の論述しかした経験がまだありませんが、その際、正確な引用でなくとも、「information(A(氏))」と、(強調するなら)information の部分をイタリックにして次に括弧でその語をあえて用いた論者の名や年号を入れる、などすると、原典に忠実に論ずることができますね。論旨の要約の場合も、「…とAは述べる」等と、要約を閉じる場所を明確にしますね。日本語論文の場合ですが。ですが確かに、世界的に著名なドイツ語原典などになると、上記の手続きがどんどん省略されたレベルのものを読者は理解しなければならないので、これと決まった論述方法はないように、広義での文化論の類は見てきているのですね。
 それで、ブログ本文は一貫して memory についてのお話ですものね、その点を尊重しないといけませんね。「人びとが恐れるのは、episodic memory の喪失で、別の意味でこちらも重要といういことを Draaisma の著書は想起させているようです。」まさにそうなんですね、実はどちらも重要だと思います。ですので、精神分析学的に観れば、どちらの memory も重宝されるものだと私は判断したのです。コメント分量を考えたため説明が足りませんでしたね。episodic memory の方に、恐らく私が提示したかった「人生の物語性」が多く見出されるのだろうと思いますし、またそれはその episodic の性質ゆえに「繰り返し想起される」のでしょう。re-experienced emotion を含むのですから、私のような心的外傷の障害だと、これこそが「想起され、恐怖になって繰り返される」のですね。
 なかなかもって、過去に渡っての自分の記憶と、「歳とともに人生は速くなる」ということとを簡潔につなぎあわせて論ずるのは大変な作業だろうと思いますが、テーマは大変興味深いと思います。「人生は速くなる」ということで、私は「未来へ向かって速く前進する自己」というふうに理解し、それでハイデガーの将来への「投企」概念を提出したのですね。ですが、「私たちの人生の過去へのこだわり」「過去はどのように形成され、何ゆえに大切なのか」というところに焦点を当てたほうが、この問題は考察しやすいでしょうね。

Y (Nomura,Atsuko) 05/04/2005 23:14
 訂正:要約の際は、「…とAは述べる」よりも、「…といったようにAは述べている」などと、緩みをもたせて、引用ではなく要約であることを明示するのですが、英文ではどうなるのかは、Ted さんのほうがよくご覧になっていることと思います。

Y (Nomura,Atsuko) 05/05/2005 00:34
 もちろん、information をイタリックにするのは、よほどの論点提示の強調の場合ですので、普通は引用符で次に括弧に論者と年号を入れれば良いですよね。でも、重要な研究成果は、年号をもう省略していったり、あるいは本ブログのジェイムズ論のように、最重要なものは年号を読者に確かめておきますね。

Y (Nomura,Atsuko) 05/05/2005 00:42
 Ted さんに教えていただきたい英語の真意がありまして、real や reality ですね。「本当の」「現実的な」「真実味のある」といった意味をどれも含み、actual、actuality と比較しても(これは社会的な「事実問題性」がある場合によく使いますよね)、やはりreal、reality の方を、主観的な体験である memory の問題に関しても使いますよね? →私の読んできた精神病理学の文献に、これらがしょっちゅう出てくるのですが、皆英語の達人ではないので…でも、私のやる社会福祉学はもちろん英語を使えないといけませんから。

Ted 05/05/2005 11:10
 英文で書くときの引用の方法ですが、物理学の論文では、一ヵ所に複数の文を引用するような機会は滅多にないので、そのような場合の取り扱い(インデントしてそっくり引用するという簡単な引用方法は別として)については、私もよく知っているとはいえません。今回の元記事では、第1〜3パラグラフが私自身の文(昨日、第1パラグラフぐらいしかない、と書きましたのは、記憶違い)、第4パラグラフの "followings:" のあと、パラグラフ終りまでが引用ですが、記述の順序を逆にして、大分類から小分類へという書き方に変えています。第5パラグラフの "these:" のあと、 "--" の前までは、とびとびの箇所からの引用をつないでしまっています。第6パラグラフの "as follows:" 以下、"[" の前までは、文を多少修正しての引用です。ということで、おおよそは似た形の引用(":" の次から始まり、大体パラグラフの終りまで行く)ですが、細かい点では互いに多少異なる引用方法になっています。
 「未来へ向かって速く前進する自己」をお考えでしたか。Draaisma の著書は、副題から分かるように記憶をテーマにしているので、そこでは、「歳とともに人生は速くなる」も、記憶にかかわる一現象として扱われているのです。私は最初、副題に留意しないで、時間の知覚に関する本かと思ったのでした。Y さんにとって、episodic memory(autobiographical memory とも呼ばれるようです)は、ご病気とも密接な関係があったのですね。
 Real、reality、actual、actuality などについてですが、物理学上は現象の模型(model)と現象そのものを区別するためなどに、後者を real phenomenon とか reality と呼ぶことはありますが、actual や actuality が登場することは、ほとんどないように思います。木村敏先生は『偶然性の精神病理』の「序論」で、「リアリティが現実を構成する事物の存在に関して、これを認識確認する立場から言われるのに対して、アクチュアリティは現実に向かってはたらきかける行為のはたらきそのもに関して言われる」と書いておられます(「序論」から先へはまだほとんど読み進んでいないのですが)。これはラテン語の語源からのご説明ですが、これによって、物理学において reality がもっぱら使用されていることがうなずかれます。

Y (Nomura,Atsuko) 05/05/2005 14:39
 丁寧にお答えいただき、ありがとうございます。"followings:", "these:", "as follows:" でだいたい、パラグラフの終わりまで行く、という引用・要約方法は、本当に教科書を読み直すようで再勉強になります。どれぐらい早期に、英語を使う仕事をいただけるかはわかりませんが、学会・大型研究会でも福祉・医療関係で一つは既に学会員として即日認められましたね、後二つも志あれば誰でも可、で非常に良い所として既に見つかっているので、いろんな方にまずお会いするのでしょうし、その時に余りに福祉系で珍しい(初、ですね)京都大学出身、という名を背負ってしまうと力が落ちている、等と言い訳できませんからね、「任せてください」と言わねばならないので…。長く一度も研究者を休んでいない夫もその日々ですから一言会話するたびに鍛えあうようにはなりました。
 私は、もともと心理学科に少しいましたので、心理学論文では確か、筆者名(年号)と、必ず筆者の直後にその論文の年号を括弧で入れよ、という原則が英語・日本語両論文であったと思います。とにかく、Ted さんは多分野の方に読まれる書き物を今後、していかれると思いますので、皆に共通に伝わる表記であれば良いのでしょう、文科系だけでもこれだけ表記の仕方がばらばらなのですし。私の分野ですと、大きい(大テーマの)文献からの引用・要約は、引用・要約部分が終わった所に(SZ110、訳書220頁)といった簡略表記 "SZ" を用いて、全文の後に、これらの大文字で簡略表記した文献の表題など、すべての文献表記をします。これだと、何度もこの重要文献を本文中で楽に引用できますので。SZ は、Sein und Zeit.『存在と時間』の簡略表記で、頭文字を取るのですね。私は卒論(50枚)が詳細な注釈99個、でしたが、修論(144枚)では、この簡略表記を2文献(不朽の名著・大作なので2文献で修士号レベルになります)について用いたおかげで、簡単な注釈24個で済みました。
 私はもちろん広くも狭くも「現象学」専攻ですから、phenomenon やその関連領域の学についてお教えいただけると有り難いのです。Ted さんにお教えいただいた、現象の模型(model)は、大変幅広い学をやったアリストテレスの哲学だと「イデア」の中に入るだろうと思いますが、これに対して、「(物理)現象そのもの」を real phenomenon とか 、また reality とさえ呼ぶのですね。actual はもちろん、語源からいえば「行為」から生起する語で、この「行為」には、「周囲の人にあまりに気を遣いすぎる病気」(=統合失調症に多い)などの「心的・精神の『行為』」(哲学用語「行為」でまとめると便利だからです)を論じる時に良いか、とも思うのですが、
 私が Ted さんがお読みではないかな、と思うのは、語感から、物理学ではまず出てこないだろうと思ったのですが、平和の問題に関する英語の書き物や英字新聞を先生がお読みになる時に、「今日ほど、これが actual な問題であったことはない」といったように、上に書きましたように社会的な「事実問題性」がある時に、actual はやはり慣用的に使うのだろう、すると語源にさかのぼって、という、哲学に多い手法(ハイデガーが一番よく使うのです)より、今日的な日常英語が尊重されなければならないのでは、と思ったのです。
 精神病理学だと、「精神現象そのもの」を扱う、ということで、やはり real phenomenon や reality の範疇に、これらは収まるだろう、と考えていたのが私なんですね。actuality は精神現象の「ありありとした現実性」(たとえば芸術を内面でじかに受け取るときなど・・)と相性が良いと思うので、また保留なのですが。

Ted 05/05/2005 17:39
 私がブログやホームページに英文で書くものは、随筆のつもりで、論文にするつもりはありませんので、いままでのところ、引用のスタイルもややいい加減です。しかし、随筆といえども、できれば、きちんとしたスタイルを使った方がよいだろうと思います。その意味で、心理学論文のスタイルについて書いて下さったのは、参考になります。
 4月18日付けブログ「時間について」で紹介しました Whitrow の "The Natural Philosophy of Time" にも心理的時間あるいは記憶について書いたところがないかと思って、きょう、取り出してみたところ、私が以前読みかけて中断していたのが、ちょうど、"Human Time" という章中の "Time and the psychological aspects of memory (i)" という節の手前でした。そこに、記憶と忘れることの関係の面白い記述が、引用の形も使って記されていますので、ここに引きます。

We therefore arrive at the paradoxical conclusion that an important condition of remembering is that we should be able to forget! 'Forgetfulness, except in certain cases, is not a disease of memory, but a condition of health and life' (Ribot 1885).

引用の形式は教えていただいた心理学分野のものと同じですね。
 確かに、時事問題の英語では actual がよく出て来ると思います。

0 件のコメント:

コメントを投稿