2005年5月28日土曜日

大通寺 / こんな夢を見た


大通寺

 正面に大きな二階建ての山門(写真)を構える大通寺は、長浜廃城後、長年にわたって町の中心的存在であった。戦国時代、豊臣秀吉の居城・長浜城の中に道場として開かれたのが最初といわれ、江戸時代初期に現在地に移ったもの。本堂や大広間は京都・伏見城の遺構と伝わる重要文化財。(JR 西日本「駅からはじまるハイキング MAP」による。写真は2005年5月23日撮影。)

こんな夢を見た

 高校時代の交換日記から

(Ted)

1952年8月19日(火)晴れ

 「どんな話?」
 光の中から出てくる声
 Sam の厚い唇
 犬、アゲハチョウ
 帽子のつばの埃
 なぜぼくはそれに定冠詞をつけるのか

 彼女は死んではいなかった
 しかし、病んでいた
 そして、一切の輝きが消えていた
 それは死も同然だった
 ぼくは冷ややかに
 彼女をうち見た

 彼女は天体に関する話をした
 それはぼくの小説の中の
 ヒロインの話と同じだった
 可愛そうに
 ぼくは彼女のその話に
 耳をかさなかった ――こんな夢を見た。

 何と薄弱な意志だろう。ヱルテルの結末はどうなったか。雲が飛ぶ。木々がざわめく。青く明るい。ああ、ぼくはセンチメンタリストか、ロマンチストか。沈黙から愛を告白されて泣いている。――『思い出の記』の中の、目的が分からなくて縊死する関西学院の秀才。ぼくはそういうことはない。何もかも歴然としているではないか。

 “In human intercourse the tragedy begins, not when there is misunderstanding about words, but when silence is not understood.” という文が “Conjunction” のところに出て来た。この文は沈黙の危険をいったものであるが、かといって、あらゆる場合にことばが沈黙の上であるとはいえない。こういう文章を見ても迷わないくらい、いままでとは打って変わって、ぼくはソローのことばをしっかりと信じ始めた。上の英文は、事務的な相談や、切迫して方便に頼らなければならないときの問題などにのみ通用するものだろう。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 05/29/2005
 大通寺はなかなかの威容でしたね。参道にあたる周辺の商店街もなかなかの賑わいぶりでしたが…。

Ted 05/29/2005
 大通寺の山門は京都・南禅寺の「三門」という山門を想起させました。大連の小学校同窓生中の美術愛好家が毎年東京で開いている美術展に出す私の水彩画の題材として先に、大阪の中央公会堂を描いて来い、といった同期生に、次は何を描いて欲しいかと尋ねたところ、南禅寺といわれ、二の足を踏んでいます。

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