写真はイタリアのナポリ・カプリ島間の高速船から、岩の上の像を撮ったもの(2003年5月13日)。
高校時代の交換日記から
(Ted)
1952年6月6日(金)雨
3、4週間前の金曜日と同じく、1限を2限のような気持で受けた。7時20分から1限の始まるまでに、プリントの問題24題中、省略をたくさんしながらも20題までを解答して貰ったのを聞いたからだ。
来週から6月講座という、1時間2円50銭になる補習授業も受けなければならないし、試験も四つ予定されているし、自分で立てた計画もかなりあるし、忙しくて、ひじょうによいことだ。悪いことは…、木曜日と金曜日がそれを気づかせてくれる [1]。
1952年6月7日(土)晴れ
芸術至上主義というものは、人物のよしあしを見るのに、彼の行為を少しも観察しないで、彼の思弁の抽象的表現をとらえて、それのみによって決めてしまおうとするのに似ている。そして、それは、ぼくがつねに恐れている精神の遊離である。
追記。この行動が肯定され意義づけられる第1の理由は、「私があえてこういうことを試みようとするのは、私のはっきりしない性格に一刻も早く終止符を打ちたいからである。そして、こういうことによってならば、その突然変異ともいうべき私の性格の進展が起こされ得るかも知れないと期待される」ということである。
これを明日持って行くのだ。ところで、いったい、自転車に乗らないことと、将棋や庭球をしないことと、海水浴に行かないことと、昨日の最後に書いたこととを除いて、ぼくの直さなければならない点があるかい*、と書こうとしたが、こんなにたくさん除いてよいものだろうか。
[Samの欄外注記]*「いかなる愚問に対しても、はっきり意思表示すること」これをちょっとばかり強調しておこう。これはくどくどノートに書いているより実行が必要だ。「自転車」以下は、ぼくを比較の対象に考えたのだろうが、もっと広い対象を考えれば、何が要るか分かる。
1952年6月8日(日)
どうしてもそれを Jack に提示する気にはならなかった。彼とは物理に専心した。
ミシシッピ河の中の孤島へ行って海賊になり、自分たちの葬式が行われている教会へのこのこ帰って来たりする架空の少年が「私は誰でしょう」に出題されたが、その名前をわれわれのノートの中での呼び名にされている友が、留守中に来たかも知れなかった――。
引用時の注
木曜日と金曜日には、苦手の体操の時間があったのである。
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
テディ 05/03/2005 11:40
「ミシシッピ河の中の孤島へ行って海賊になり…」とは、トム・ソーヤのことですね。過去の日記を見ると確かに「Tom(SK君)」という名前が見つかりました…。
Ted 05/03/2005 13:17
ご名答! 過去のブログまで見ていただき、恐縮です。
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