寺の屋根と樹木に…
ウォーキングの途中で、寺の屋根と樹木に囲われた空が、不思議にみずみずしく思われ、カメラを向けた。堺市草部で、2005 年 3 月 19 日。
「三つの歌くらべ」出場記
高校時代の交換日記から。
(Sam)
1952 年 4 月 5 日(土)快晴
休暇に入ってから始めて Neg に会った。Funny と二人で Sam を激励に来てくれたそうな。
十一時に食事。先日洗濯したばかりのズックをはいてテクシーで家を出たのが、それから三十分後、五分前に到着。受付の人に事務所を尋ねて、返信を見せ、信用金(手付け金とでもいうのか)として百円を納める。これは出場のあとで返してくれるのだそうだ。映画がすんだらここへ来て下さい、ということだった。
学生が大半。人数は十名ばかり。向かって左側の椅子に腰かけて幕の開くのを待つ。胸がどきどき、身体の震えが止まらない。♪ 三つの歌です 君もぼくも … ♪。 幕が徐じょに開いた。始めに「色あて」「港あて」などがれる行われる。三曲一組になっていて、「色あて」ならば、「白い花の咲く頃」で「白」、「紅い椿の港町」で「紅」、「水色のワルツ」で「水色」といった具合に答えるわけだ。どれもこれも難しいのばかりで、ぼくには三曲のうち一曲すらも分からないときがあった。会場で完全にすらすらと三つ答えた人はなかった。だから、本当は全部答えた人に明治キャラメルかピアスクリームが贈られるのだが、二曲ででも貰って行く人がいた。ぼくたちはステージの椅子に腰かけているので、答えるわけにはいかない。
そのあと、いよいよ始まる。「一番目の人、何なにさん!」、二番目! 三番目! 四番目に、今年小学校に入学した女の子が出た。四つの歌になってしまったが、二曲歌って、三百円と、おまけにお母さんのためにとピアスクリームを貰った。ぼくの前までに誰も三曲全部歌った人はいなかった。惜しい、と思われるのもいなかった。ぼくは最後だった。
最初が「懐かしのブルース」。♪ 丘のホテルの … ♪ と歌いだして、あわてて止めてから、♪ 古い日記の … ♪ とすらすら歌った。さほどあがることもなく、震えることもなかった。ただ、これは Funny もいっていたが、スポットライトが強いため目がくらんで、観衆の笑っている姿がちっとも見えなかった。「続いて二番目の歌、これは古い流行歌ですが…」のことばで出てきたのが、♪ 男純情の … ♪ で、ぼくはそこまでと、あとの方の一部しか知らなかったから、残念! 千円の夢は消えてしまった。それは「きらめく星座」という題で、司会者の読んでくれた歌詞はとても長いものだった。
「何が好きですか」と聞かれたから、「流行歌でもよいが、童謡など」といったら、童謡はないとみえて、ピアノのメロディはなんと「ヤットン節」だった。得意中の得意という表情で、「ダガネ」や「ヨイヨイ」もジェスチュアたっぷりで歌ってやった。観衆が愉快そうに笑うのを聞くと、ますます油がのった。帰りがけに司会者から「なかなか気分が出ていました。」といわれて、頭をかいた。ついでに「トンコ節」も歌いましょうか、といってやればよかった。
ニュースの前に N 信託の巧みな広告が入っていた。映画『虹の女王』は十近い美麗きわまるショウを含んだ、いや、それらを主題としたもので、その間あいだの楽屋の様子をも描写したものだった。ジャック・ドナヒューに扮するレイ・ボルジャーは、最初、高い鼻がおかしいと思っていたが、タップの上手なのに全く驚いた。虹の女王のマリリーン・ミラーに扮する主演のジューン・ヘイヴァは、初め、『アニーよ銃をとれ』のベティー・ハットンにとてもよく似ている、というよりは、ベティー・ハットンかと思っていたが、パンフレットを見てやっと、違うことが分かった。彼女は、画面に向けられている幾百対の目を、名演技によって魅了した。
帰りに Funny のところへ寄った。「たとえ、一千円は貰えなかったとしても、ただ家にいては、このような報酬にはありつけないだろう。『求めよ、さらば与えられん』だ、勇気と度胸(今回はこれに多量の好奇心も加わっているが)を出すことによって、それは達成される。われわれは一つの新しい体験をしたのだ」と、この試みの終りに当たって二人で結論づけた。
小遣帳の上から見れば、申し込みの往復はがき代と帰りの電車賃を差し引いて、純益金二百八十二円。簿記上は他に若干の減価償却を見込まなければならないが、これだけのものが物質的にプラスされたわけだ [1]。これで、教科書代の心配は要らなくなった。
引用時の注
コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)
四方館 03/22/2005 11:46
愉快なエピソードですね。やはり Sam さんは楽しく明るいお人だ。
Ted 03/22/2005 13:24
Sam に出来て私に出来ないことは沢山ありました。この日の日記の初めに出て来ている Neg(顔が黒かったので、ニグロ、略して Neg)という友人は、高校は Sam と同じでなく、私と同じで、高校 2 年では私と同じホームルームにさえなったと、間もなく掲載するところに書いてありますが、私は本名を覚えていないのです。(後日の追記:I・T 君だったようです。顔はそれほど黒かったとは思えませんが。)
ウォーキングの途中で、寺の屋根と樹木に囲われた空が、不思議にみずみずしく思われ、カメラを向けた。堺市草部で、2005 年 3 月 19 日。
「三つの歌くらべ」出場記
高校時代の交換日記から。
(Sam)
1952 年 4 月 5 日(土)快晴
休暇に入ってから始めて Neg に会った。Funny と二人で Sam を激励に来てくれたそうな。
十一時に食事。先日洗濯したばかりのズックをはいてテクシーで家を出たのが、それから三十分後、五分前に到着。受付の人に事務所を尋ねて、返信を見せ、信用金(手付け金とでもいうのか)として百円を納める。これは出場のあとで返してくれるのだそうだ。映画がすんだらここへ来て下さい、ということだった。
学生が大半。人数は十名ばかり。向かって左側の椅子に腰かけて幕の開くのを待つ。胸がどきどき、身体の震えが止まらない。♪ 三つの歌です 君もぼくも … ♪。 幕が徐じょに開いた。始めに「色あて」「港あて」などがれる行われる。三曲一組になっていて、「色あて」ならば、「白い花の咲く頃」で「白」、「紅い椿の港町」で「紅」、「水色のワルツ」で「水色」といった具合に答えるわけだ。どれもこれも難しいのばかりで、ぼくには三曲のうち一曲すらも分からないときがあった。会場で完全にすらすらと三つ答えた人はなかった。だから、本当は全部答えた人に明治キャラメルかピアスクリームが贈られるのだが、二曲ででも貰って行く人がいた。ぼくたちはステージの椅子に腰かけているので、答えるわけにはいかない。
そのあと、いよいよ始まる。「一番目の人、何なにさん!」、二番目! 三番目! 四番目に、今年小学校に入学した女の子が出た。四つの歌になってしまったが、二曲歌って、三百円と、おまけにお母さんのためにとピアスクリームを貰った。ぼくの前までに誰も三曲全部歌った人はいなかった。惜しい、と思われるのもいなかった。ぼくは最後だった。
最初が「懐かしのブルース」。♪ 丘のホテルの … ♪ と歌いだして、あわてて止めてから、♪ 古い日記の … ♪ とすらすら歌った。さほどあがることもなく、震えることもなかった。ただ、これは Funny もいっていたが、スポットライトが強いため目がくらんで、観衆の笑っている姿がちっとも見えなかった。「続いて二番目の歌、これは古い流行歌ですが…」のことばで出てきたのが、♪ 男純情の … ♪ で、ぼくはそこまでと、あとの方の一部しか知らなかったから、残念! 千円の夢は消えてしまった。それは「きらめく星座」という題で、司会者の読んでくれた歌詞はとても長いものだった。
「何が好きですか」と聞かれたから、「流行歌でもよいが、童謡など」といったら、童謡はないとみえて、ピアノのメロディはなんと「ヤットン節」だった。得意中の得意という表情で、「ダガネ」や「ヨイヨイ」もジェスチュアたっぷりで歌ってやった。観衆が愉快そうに笑うのを聞くと、ますます油がのった。帰りがけに司会者から「なかなか気分が出ていました。」といわれて、頭をかいた。ついでに「トンコ節」も歌いましょうか、といってやればよかった。
ニュースの前に N 信託の巧みな広告が入っていた。映画『虹の女王』は十近い美麗きわまるショウを含んだ、いや、それらを主題としたもので、その間あいだの楽屋の様子をも描写したものだった。ジャック・ドナヒューに扮するレイ・ボルジャーは、最初、高い鼻がおかしいと思っていたが、タップの上手なのに全く驚いた。虹の女王のマリリーン・ミラーに扮する主演のジューン・ヘイヴァは、初め、『アニーよ銃をとれ』のベティー・ハットンにとてもよく似ている、というよりは、ベティー・ハットンかと思っていたが、パンフレットを見てやっと、違うことが分かった。彼女は、画面に向けられている幾百対の目を、名演技によって魅了した。
帰りに Funny のところへ寄った。「たとえ、一千円は貰えなかったとしても、ただ家にいては、このような報酬にはありつけないだろう。『求めよ、さらば与えられん』だ、勇気と度胸(今回はこれに多量の好奇心も加わっているが)を出すことによって、それは達成される。われわれは一つの新しい体験をしたのだ」と、この試みの終りに当たって二人で結論づけた。
小遣帳の上から見れば、申し込みの往復はがき代と帰りの電車賃を差し引いて、純益金二百八十二円。簿記上は他に若干の減価償却を見込まなければならないが、これだけのものが物質的にプラスされたわけだ [1]。これで、教科書代の心配は要らなくなった。
引用時の注
- ここを読むと、「精神的なプラス」もあったではないか、といいたくなるが、それについては、前のパラグラフで既に述べられているのである。
コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)
四方館 03/22/2005 11:46
愉快なエピソードですね。やはり Sam さんは楽しく明るいお人だ。
Ted 03/22/2005 13:24
Sam に出来て私に出来ないことは沢山ありました。この日の日記の初めに出て来ている Neg(顔が黒かったので、ニグロ、略して Neg)という友人は、高校は Sam と同じでなく、私と同じで、高校 2 年では私と同じホームルームにさえなったと、間もなく掲載するところに書いてありますが、私は本名を覚えていないのです。(後日の追記:I・T 君だったようです。顔はそれほど黒かったとは思えませんが。)
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