ハクモクレン咲く
近くに笠池公園というのがある。公園といっても、以前は笠池という溜め池だったものが埋め立てられ、遊園地と球技のできるような小広場やベンチがあり、周囲にサクラ、ツツジなどが植えられている小さなものである。その南側に2本のハクモクレンの木があり、花をつけていた。写真はその1本。2005年3月26日写す。
新担任いわく「愉快にやればよい」
高校時代の交換日記から。
(Ted)
1952年4月8日(火)雨
新ホームルームの編成がプリントされ体育館に貼ってあった。ぼくは MY 先生の24ホームだ。UE 君や TKZ 君とは、また一緒だ。それに、Jack、Neg とも一緒になった。Jap(TJ 君)もいた。野球部の UW、SK 両君もいる。あとは知らない名前が多い。われわれのノートによく登場する他の人物の所属は、SN 君が21、KS 君が23、SNN 君が25、KZ 君が26、Octo(KB 君)が27ホームと、ばらばらである。にわかに親密になった様子で並んで帰って行った SNN 君と MRR 君は、同じホームになったのだろう。
細身で眼鏡をかけた顔の感じも優しく、世界史担当の MY 先生は、つかつかとホームへ入って来られ、「こんにちは」が第一声である。「~しまいか」[1] 調で、ただ愉快にやればよいといわれた。掃除のあと、始業式が行われた。校長先生の話は、大学への進学率など、具体的なものばかりだった。
午後、Octo と彼の家で、学生用英語辞書を使って野球ゲームをする。阪急14-2巨人(4回コールドゲーム)という一方的な試合になった。先日、MRR 君の家で彼の辞書を使って行った試合は、両チームともバッタバッタと三振するばかりで、6回までで、阪急0-0阪神の引き分け、安打も阪急2、阪神1という貧打戦だった [2]。中学生時代に作った「精密な野球ゲーム」[3] とは異なって、確率と統計から割り出してルールを規定できないので、面白いゲームができるように工夫することが難しい――と、10日ばかり前とはまったく反対のことを考えながら帰って来る。
紫中時代に OK 君が休み時間に読んでいるのを Sam とぼくがのぞき込んだことのある本、そして昨年 Sam が学校の図書館で読み、「とにかく、その事件も内容も思想もすぐれていて面白いことはうなずけた」と書いた本 [4]、それを読み始めている。
引用時の注
「~しましょう」の金沢弁。
各自が好きなプロ野球チームを名乗ってゲームをした。阪急が私である。
まず、プロ野球の実況放送を何試合もスコアブックに記入しながら聞いて、ストライク、ボール、見送り、ファウル、ゴロ、フライ、単打、2塁打、3塁打、ホームラン、失策、盗塁成功等々の割合を統計的に調べた。そして、それらの割合が1~3個のサイコロの目で再現されるよう、投手と打者の対決、打球の行方、守備、盗塁等々に対応する表を作り、それに基づいて試合を進めるようにしたゲームである。
トルストイ『アンナ・カレーニナ』。
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