2005年3月4日金曜日

ねはん(涅槃)

高校時代の交換日記から。

1952 年 3 月 15 日(土)晴れ

(Sam)

 三六六日前のきょうは何があったろう、そして、どんな日だったろう。手元に日記帳がないから分からないが、とにかくよい天気だったように思う。ぼくは卒業式に着ていたのと同じ服を着ていた。その日は一日中、母と一緒だった。
 その頃のことを考え始める。Ted とは …、ME 君とは …、それらのことを考えると、いままで心の中にきちんと整理されて収められてあったものがちりぢりに四散して、ぐるぐる激しく回るようだ。それらから受けた影響は …。
 話題は違うが、関連したこととして、新しい生命がぼくのごく近くで予期しないうちに現れてきた。それは必然のものであったに違いないのだが、何となく考えさせられる。Joy, happiness, incomprehensibility それらの幾何平均のようなものが錯乱している。
 また、話は変わる。入浴はぼくに思索を与える…。「ねはん」、どんな字を書くのか知らない
[1]。それがきょうだという。KJ 君の本箱に緑地に赤の文字で三字書かれた題の本があった [2]。あの中の一節を思い出す。作者が小さい頭で(と表現するのはよいかどうか知らないが)一生懸命考えて、passion と幾十世紀か前のきょうあったと思われることについて述べているところだ。
 自分で書いていても、どうも判然としない。しかし、春と、その柔らかい気分や、余裕を幾分持ちかけた感情は、さまざまなことを思い起こさせてくれる。


(Ted)

 このノートを開いて、きょうが何曜日かを意識するのは、10 日ぶりである。昨日の解析の 90/7 という答は、MR 君や YMG 君も出来たそうだ。KJ 君は 630/49 として、そこでは 2 点引かれただけだと、英語の試験監督に来られた Y・S 先生から聞いたそうだ。
 "When I was a child seven years, my parents filled my pocket with pennies." の pennies を「銅貨」としたが、どうだろう。KS 君が「あの本にあったぞ」と、近くの自宅へ行って、ぼくが HY 君の家で観たのと同じ何とか vista という、茶色い表紙の教科書を取ってきて見せてくれた。フランクリン自伝からの文なのだ。KS 君は「教員の裏をかいて」"— Benjamin Franklin" と書き加えておいたといっていた。試験には少し易しい文に直して出してあったが、その教科書には pennies の代わりに coppers となっている。あたかも、ぼくがその教科書をよく読んでいて、つい coppers の訳を書いてしまったかのようになった。

 生物の教科書に「水を入れた器にわらや枯れ草を入れて 10 日ほど放置しておくとゾウリムシが発生する」と書いてある。これでは、何だか「まかぬ種も生える」感じがする。「きたないみぞの水の表をおおっている皮膜や刈り入れ後の田の水底に落ちているくち葉などに積ったごみのなかを探すとアメーバが見つかることがある」というのは、やや文学的だ。

 日を浴びて、わらの四角い山の上に腹ばって勉強。HN 君のために、晴れやかな午後のすべてを提供。提供すれば、また提供されることもあろう。
 喜びだ、全身に感じてまだ感じきれない喜びだ、と一瞬一瞬の心に喜びを刻みたくなる淡い希望色の空だ。
 この 2 週間も、Sam に読んでもらう価値のまったくないことを、うるさく書き連ねた。いまは、濁りのない気持ちでこうしている。だが、ぼくの存在は、いまの一点ではない。次の瞬間には、一段上にいなければならない。そして、過去の低い段に残っている泥のついた足跡を流し去ることが必要だ。
 漱石の『硝子戸の中』の最後の編、それには及ぶまいが、それに似た感情…。軽蔑の微笑…。

 引用時の注
  1. 涅槃:釈迦入滅の日、旧暦 2 月(新暦 3 月)15 日。
  2. 『風の子』と私が書き込んでいるが、どんな本だったか、詳細は覚えていない。「作者が小さい頭で一生懸命考えて」とあるところをみると、作文の上手な、ある少年の文集か。

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