2005年3月21日月曜日

近郊風景 / 小学校時代の隣クラスの級長が来訪


近郊風景

 写真はわが家から少し南へ行ったところに見られる近郊風景(2005 年 3 月 19 日撮影)。

小学校時代の隣クラスの級長が来訪

高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952 年 4 月 4 日(金)晴れたり曇ったり

 驚くべき珍訪問者は来たりぬ。驚愕は我が喉をば、がくがく鳴らせたりき。(つい文語文になってしまった。)
 黒い顔に眼鏡をかけている。「ぼく、HZ です。」…?…。ぼくが「美に親しもう」[1] を書いたころ、同じクラスにいた KR 君が少し太く大きくなって、眼鏡をかけてやって来たような格好だ。だが、どこか筋が入ってしっかりしている。HZ 君。これが HZ 君か。はぁ——。
 かつては、白い顔のお坊ちゃんだった。鼻が高くて尖っていた。彼は松組の級長(古い名称が出てくる)だった。奉安殿(これも古い)のある校庭に整列していたとき、それぞれのクラスの先頭にいた彼とぼくを見比べて、女の先生が、ぼくは帽子をまっすぐに被っているが、彼は少し傾けて被っていると評したことがあった。もう一つ彼について覚えていることは、1 年生の夏休みに作って行かなければならなかった厚紙の貯金箱が、彼のはとてもよく出来ていたことだ[2]。
 もはや、彼は白いお坊ちゃんではなかった。「今朝私もあの絵の賞状を頂きました。昔の友達同士が絵画の道で一緒になった事を考えると、見えない深い御縁を思わせられます」[3] という調子の手紙を見ただけでは、白くて滑らかな肌の彼がそのまま拡大された以外の変わり方をしただろうとは、想像出来なかった。七尾駅前の N さんから、彼が金沢へ来ていて、高師付高へ入ったことは聞いていた。しかし、訪ねて来るかも知れないとは、少しは思ったかも知れないが、期待していなかったことだ。
 祖父に「始めまして」と挨拶をしてから、彼はくつろいだ姿勢で坐った。松組の級長は、強健で社交的になっていたが、小学校2年生になったとき講堂で新入生歓迎の辞を述べた竹組の級長は、いま弱々しく、語ることを知らなかった。彼は、机上に広げてあった "High School English" を見て、「かじっとるね」といった。ぼくは、「きょう、教科書があたった [4] もんだから」と、か行お列の拗音の長音が二つ続くのを注意深く発音しながら答えた。彼は「ぼくら、12 日まであたらない。」と、解析 II の教科書を手に取り、かなりの予備知識を持っているような顔でページを繰りながら答えた。下安藤町の三分の一か二入ったところの左側の白い蔵のある家にいるから、いつでも来てくれ、といって、早ばやと立ち去った。
 よい応対ぶりじゃなかったと思う。Jack に相対するときは、彼が
 (この間の 1 枚を破棄した。)[5]

 引用時の注
  1. 私は中学 3 年のとき、イーゼルペイントというガッシュ・タイプの絵の具を使う絵のコンクールで、石川県下の中学生の中から 2 名の金賞を受賞したが、その感想文を学校新聞にこの題名で書いた。
  2. HZ 君と私は七尾市立御祓(みそぎ)小学校で一緒だった。私はその学校に 3 年生の 1 学期末までしかいなかった。

  3. 私は HZ 君も上記のコンクールに入賞していたことを展覧会場で知り、彼のいた中学校へ手紙を出した。引用した文は、それに対する彼の返信の一部である。

  4. 「あたった」は金沢弁で「貰えた」の意。実際には「買えた」のであるが。
  5. 書き続けた内容が気に入らず、ノートがまだ新しかったので、1 枚破っても対になっているページは空白のままだから影響がないということで破棄して、次ページの最初にこう書いたのである。なお、HZ 君は阪大理学部を出た後、A 社に就職したということだった。その後いまに至るまで、再会の機会はない。阪大理学部で彼と同期だった職場の同僚から、大学生時代の彼の遊び人ぶりの一面を聞きはしたが。

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