2005年3月6日日曜日

アンコンシアス・ヒポクリシー

高校時代の交換日記から。

(Ted)

1952 年 3 月 19 日(水)

 雨が風で叩き落とされるように、激しい音をたてて降っている。午後3時過ぎから電灯をつける。一日中、夜のようだ。しかし、目はしっかと開いて、文字を追い続ける。夢をそそるようだった昨日の天気にくらべて、こういう暗い日の方が思索に向くかとも思われるが、みょうに、こんな日は考えが発展しないものだ。読書をするにはよい。
 雨はいま、灰色のオーロラ状の幕となって、屋根をなでたり、巨人の使う刷毛——その毛は無数の針金である——となって、不気味な音とともに、空を切り地を叩きしている。

 小宮豊隆が『三四郎』の解説を書いている中に、次の文がある。
 漱石のいふアンコンシアス・ヒポクリシー(無意識の偽善)とは、人が、自分の意識しない間に、即ち不用意の間に、平素の自分でないものになっている事を意味する。人が、自分の意識と反省との届かない奥の所で、意識し反省する自分とは全然違った事を感じ、ある時ある場合に、その感じに任せて言動するとすれば、其所に漱石のアンコンシアス・ヒポクリットが優に成立するのである。
昨年のきょうより 3 日あとに始まったぼくの感情の一つの解釈として、参考にしてみるべきものがある。

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