2005年3月18日金曜日

Sam が「三つの歌くらべ」出場に決定

高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952 年 4 月 2 日(水)雨ときどき晴れ

 出合いがしらをみぞれに叩かれた。「一寸先は闇」ということばが頭に浮かぶ。みぞれの体に当たる部分をできるだけ少なくして、力一杯ペダルを回した。あまり揺れたためであろう、しっかり縛っておいたと思った荷物がバシャンと落ちてしまった。一秒の 1/10 の時間も惜しんで荷物を縛り直してから、足を休ませる暇もなく、まっしぐらに疾走した。四肢の先が覚えがなくなるくらい、痛く冷たかった。
 宇都宮[書店]へ立ち寄って、さっそく調べてみる。あっちもこっちもぼくの訳とは異なっている。なるほど、なるほどと思って見ていたのだが、家へ帰ると、船を泉と書き間違えた宛名の往復はがきの返信が来ていて
[1]、その裏の四行を読んで躍り上がった。
貴方は三つの歌(四月五日第一回)に
出場を決定いたしました 本葉書
御持参の上 五日十二時二〇分迄に
当劇場事務所へお出で下さい
Funny と喜びを共にしようと、自転車で駆けつけたら、宇都宮で覚えたことをすっかり忘れてしまった。彼のところへも返信は来ていて、四月四日だそうだ。
 「西遊記」を聴いてから、来学期に備えて「鞄」というほどではない「道具入れ」を大きくして貰いに、母のところへ行く
[2]。「三つの歌くらべ」に出るのだから「ヤットン節」を教えてくれといったが、学生にそんなものが出るはずはないといわれた。しかし、二回ばかり歌ってくれたから、だいたい文句は覚えてしまった。

 引用時の注
  1. Sam の住所は宝船寺路町だった。応募用往復はがきの返信部分への宛名は、普通自分で書くが、自分で自分の住所を書き間違えたとは考えにくい。Sam は自分では書かなかったのだろうか。Sam の友人の誰かが、自分と Sam の分の申し込みをまとめて出したのかもしれない。
  2. Sam は父を亡くし、母は Sam を祖母に預けて再婚し、少し離れた所に住んでいた。

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