高校時代の交換日記から。
1952 年 3 月 16 日(日)曇り
(Sam)
人間、寝ころんでいる時より、坐っている時の方が決断の力が盛んになるとか。
寄らば大樹の影とやら、見れば『新樹』の疎とやら。「反省点綴」、せっかく力を込めながら、抽象的で、肝心なところが不足だ。幾多の修正を要する。読者を満足させる修業を積まなくてはいけない。[1]
(Ted)
話したかったことを話せなかった [2] Samとの散歩に、有意義を青、無意義を灰色として、空に判断を求めるならば、だんぜん適切な答を出してくれている。空は、いま、一点の有彩色もまじえない姿を横たえているから。しかし、仕方がなかった。
反意語の問題、democratic に対しては aristocratic か feudal だろう。behind には before、dirty には clean でいいよ。
「晴れたかと思えば曇り、寒いと思えばもう暖かく、愉快になったかと思えば、たちまち不愉快になる。だが、いまは辞書をひっくり返して探し得るすべての快さを表すことばがわぁーっと一時にわれわれの感触に訴える形で押し寄せて来る季節だ。一つの段階を終えて次の新しい段階を経験しようとしている君は、退屈していてはいけない。眼前に拡がる大洋の波が君に何をささやきかけているかに耳を傾けることだ。——『の奴』(とは、もういわない方がよい)と喧嘩をしたって? 君たちのことだから妥協できないことはないだろうが、早く講和条約を結び給え。そんなことは君たちの間に、いや、平和を希求する世界のどこにだってあってはならないことだからね。」[3]
まずいが、こういうことにしておこう。整然とした文章、整然とした思想、一挙にそれらを望むのは無理だが、少しずつでもそれに近づかなければならない [4]。
引用時の注
1952 年 3 月 16 日(日)曇り
(Sam)
人間、寝ころんでいる時より、坐っている時の方が決断の力が盛んになるとか。
寄らば大樹の影とやら、見れば『新樹』の疎とやら。「反省点綴」、せっかく力を込めながら、抽象的で、肝心なところが不足だ。幾多の修正を要する。読者を満足させる修業を積まなくてはいけない。[1]
(Ted)
話したかったことを話せなかった [2] Samとの散歩に、有意義を青、無意義を灰色として、空に判断を求めるならば、だんぜん適切な答を出してくれている。空は、いま、一点の有彩色もまじえない姿を横たえているから。しかし、仕方がなかった。
反意語の問題、democratic に対しては aristocratic か feudal だろう。behind には before、dirty には clean でいいよ。
「晴れたかと思えば曇り、寒いと思えばもう暖かく、愉快になったかと思えば、たちまち不愉快になる。だが、いまは辞書をひっくり返して探し得るすべての快さを表すことばがわぁーっと一時にわれわれの感触に訴える形で押し寄せて来る季節だ。一つの段階を終えて次の新しい段階を経験しようとしている君は、退屈していてはいけない。眼前に拡がる大洋の波が君に何をささやきかけているかに耳を傾けることだ。——『の奴』(とは、もういわない方がよい)と喧嘩をしたって? 君たちのことだから妥協できないことはないだろうが、早く講和条約を結び給え。そんなことは君たちの間に、いや、平和を希求する世界のどこにだってあってはならないことだからね。」[3]
まずいが、こういうことにしておこう。整然とした文章、整然とした思想、一挙にそれらを望むのは無理だが、少しずつでもそれに近づかなければならない [4]。
引用時の注
- 私の高校の生徒会発行の雑誌『新樹』と、それに掲載された私の文「反省点綴」への辛い批評。
- 前年の春のように、また、中学同期の K・S さんを一緒に訪れたい、と Sam に提案しようと思いながら、ちゅうちょし、けっきょく提案しなかったということか。私は、少なくとも意識の上では、友人として K・S さんに近づきたいと思っていたが、Sam と私の共通の友人で高校が Sam と同じの ME 君が、K・S さんに異性としてほれ込んでいたという複雑な事情(不等辺三角関係?)があった。
- 中学の新聞部で一緒だった 1 年後輩の SK 君への返信の下書き。日記は平素鉛筆で書いていたが、この部分は万年筆で書いてある。文中『の奴』とあるのは SK 君の同級生・ガールフレンドだった Y・K さん。SK 君はいつも彼女のことを話すとき「K の奴」といっていたので、私も彼に「『の奴』とは最近どうしてる?」などといっていたのである。
- 「なければならない」は仮名で書くと長いが、Sam と私は、Sam の提唱で、ギリシャ文字オメガ(ω)の左右を水平に近く開き、中央の盛り上がりを大きく交差したような形の速記文字で表すことにしていたので、「なければならない」の語を容易かつ比較的ひんぱんに使い得たのである。「少しずつでもそれに近づか ω」というように。
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