2005年3月25日金曜日

Sam の義理の弟

 高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952年4月6日()晴

 大切な時間だっただろうに、駄弁を許してくれ給え。あとで考えてみると、まだまだ説明しなければならないところがあったが、それは実際の練習の際にした方がよさそうだ。ともかく、この点でも速やかに一人前になって貰いたいものだ。

 新しい兄弟ができた。ぼくからいえば、彼は弟である。今度、県立工業の色染科に入った。(どの辺りまで紹介しておけばよいものかな。)それで、いままで無量寺村の父の兄のところにいたのだが、父のところから通学することになったのだという。彼の父の妻がぼくの母である、と、こんな関係である。彼の名は A... といったが、どんな字を書くのか知らない。きょうは兼六園球場の野球を見物に行って来たのだそうだ。中学校にいた頃は、野球部の選手だったそうだ。いかにも田舎で生活していたらしい素朴さと不慣れな物腰が感じられる。教科書の程度はだいたい同じで、解析 I などはまったく同じものを使うらしい。だが、英語だけはとても易しい。教科書は一冊だけで、中学校一年の英語だけしておけばやすやすと出来るものである。


(Ted)

1952年4月7日(月)晴れのち曇り

 朝、手に汗をにぎりながら、SNN 君を訪ねた。そして、頼まなかった [1]。帰ってからしばらく、いろいろの思考をし、結論はよいところへ決着した。


  1. 頼もうかと思ったのは、一緒に Vicky の家を訪ねよう、ということだっただろう。

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