2005年3月25日金曜日

"A tale of two loves (二つの恋の物語)" を読む

 タイトルから恋愛小説の紹介と思ってこの記事を読みに来られた方には気の毒だが、これは Nature 誌最近号に掲載されたアメリカの物理学者兼小説家・アラン・ライトマンによる科学と芸術の相違と相互作用についての随筆 [1] の紹介である。Nature 誌のその号には、科学のための芸術特集 [2] が組まれており、ライトマンの文はこの特集の9編の記事の一つである。お気づきの方も多いと思うが、この随筆の題名は、チャールズ・ディケンズの小説『二都物語』をもじったものである。

 私は定年退職後もそれまでの仕事の一部を続けるため、1999年4月、自分のウェブサイトを「データ評価解析研究所」(英語名略称 IDEA) という名前でスタートした。しかし、この研究所としての仕事は、次第に収束する方向に進んでいる。また、同じサイトに随筆や写真や絵など、趣味的なものも掲載しており、これらの分量の方が IDEA 関係のものより多くなりそうな状況になってきた。そこで、サイトの体裁をつくろうことと、今後興味をもって行きたいと思う「研究」の方向を示すことを目的として、昨年6月「科学芸術双文化研究所」(英語名略称 ISAAC) という看板を併置した。

 ISAAC は「C. P. スノウが分極した二つの文化といった、科学的文化と芸術的文化の相互作用を研究する」ものであると、私はサイトにうたっている。したがって、Nature 誌の上記特集記事は、どれも私にとって必読のものであるが、3番目にあるライトマンのものが、題名から見て、もっとも基礎的な内容であり、また取っつきやすいように思われ、まずこれを読んだのである。

 ライトマンの随筆の初めの1/3ほどには、彼自身の経験が述べられている。子どもの頃、詩を作ることが好きだったと同時に、科学の実験をすることや、数学の問題を解くことも好きだったという。そのうちに彼は、数学の論理性を愛し、人間世界の曖昧さに困惑するようになり、物理学の道へ進んだようである。さらにそののち、小説を書くようになり、人間心理の曖昧さや複雑さが、小説その他の芸術に力を与えているものであることを悟った、と述べている。

 次に、ライトマンは科学と芸術の相違を簡単明瞭に述べる。科学は答のある質問を対象として、あくまでも答を追求するのに対し、芸術は答を求めるよりも、リルケが『若き詩人への手紙』でいったように、質問そのものを愛するものである。芸術における質問とは、例えば「愛とは何か」のように、しばしば、はっきりした答のないものである、と。

 次いで、科学と芸術が相互に与え得るものは何かが論じられる。科学は、コペルニクス、ダーウィン、アインシュタイン、ワトソンとクリックらの仕事に見られるように、世界観を変えるような新しいアイディアの源泉であり、芸術はアイディアによって育つ。他方、芸術は別種のアイディアや、イメージ、陰喩、ことばなどを科学に与える。自然の真実は、必ずしも実験で到達できるというものでなく、時には心から生じるものであるというデイヴィッド・ヒュームの考えは、アインシュタインもある程度支持したところである [3]。科学の理論に使用されるいろいろな模型の記述には、数式を除いては、芸術の対象となる感覚的経験から生じるイメージや陰喩やことばを使う以外に手段がない。――要するに、科学と芸術は、異なる思考方法と存在様式を認め合い、合成し合うことによって、互いに重要な贈り物を与え合うことが出来るのである。

 このあと、具体的な例として、科学を扱った演劇や映画の成功、著者自身の小説 "Einstein's Dreams" をどのように書いたかという話、そして、アインシュタインの成功には彼の非合理的な個人生活や情熱も役立っていたに違いないという話が続き、合理性と非合理性を兼ね備え、答のある質問と、ない質問の両方を追求する人間という存在はすばらしいという意味のパラグラフで結んでいる。

 この随筆は、科学と芸術の相互作用についての入門的概論として、よくまとまっている。この一文を初め、Nature 誌の今回の特集の各記事が、芸術・科学両分野の一層の交流に役立ち、ひいては、レオナルド・ダ・ヴィンチのような、両分野にまたがる知の巨人の再来につながることを期待したい。


  1. Alan Lightman, Nature Vol. 434, p. 299 (2005).

  2. "Artists on science: scientists on art" Nature Vol. 434, p. 293 (2005).

  3. この例には芸術への直接の言及はないが、この前後の原文には芸術と人文科学が併置されていることから、哲学者ヒュームの考えを芸術側のものとしていることが分かる。

 
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 03/25/2005 11:05
 科学的思考とか芸術的思考とかが特徴的にあるのではなく、論理的思考と直感的思考の対照的な思考形式があり、科学においても芸術においても、両者の思考形式を必要としているし、また、両者を駆使しなければ真実の発見も、虚構としてのよい作品も生まれない、ということなのでしょうね。

Ted 03/25/2005 17:33
 ずばり、そういうことですね。科学においては論理的思考に、芸術においては直感的思考に、もっぱら頼っていると考えられがちですが、どちらの分野においても、両方の思考形式が有用なようです。
 以前、A・I・ミラー著『アインシュタイン、ピカソ』という本を読みましたが、ピカソが前向きの顔と横向きの顔を合成したような絵を描くようになった一つの契機は、アインシュタインの相対性理論においては時間と空間の座標が互いに転化するということを学んだことらしい、とありました。顔を前と横から見るには、移動のための時間の介在が必要ですが、その時間を空間に転化したというわけです。ピカソが仲間たちと相対性理論について論じ合っていたという推定も十分成り立つそうです。

四方館 03/25/2005 18:01
 ピカソのキュビスムの時代の絵ですね。遠近法のパースペクティヴからまったく飛躍して多視点から同時的に捉える手法で、成程、Ted さんの読まれた相対性理論の影響があるとも考えられそうですね。表現主義など、20年代、30年代は芸術理論が非常に多様な形で展開しましたからね。

Ted 03/25/2005 22:14
 そうです。特殊相対性理論が発表されたのが丁度いまから100年前の1905年、キュビスムのホールマークとなったピカソの「アビニョンの女たち」が描かれたのが1907年です。

プラトテレス 06/18/2006 23:23
自然科学を芸術表現活動によって深めることを目的とした「知の統合プロジェクト」が財団法人国際文化交流推進協会によ運営されてます。

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