2005年3月6日日曜日

どんく

高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952 年 3 月 18 日(火)晴れ

 「どんく魚せんぎ」これは、いったいどう読んだらいいと思うかね。こんな題なんだ
[1]。「どんくギョ せんぎ」でも「どんくウオ せんぎ」でもよいそうだ。「どんく」というのは、われわれの呼んでいるゴリ [2] のことだという。たんに「どんく」といっただけでは魚か獣か鳥か分からないから、魚という字を加えたのだとのことである。ついでだが、カエルのことも「どんく」というところがある、と書いてある。

 せっかく夕べ苦心して教科書の最後についている紙を利用して計算尺を作っていったのに、もう明日から使わないそうだ。
 クラブがアセンブリーに入れ替えになって(先週は A が C に入れ替わったのだ)、第一体育館で会則修正に関する公聴会が開かれた。答弁には正副会長が当たっていた。最高議決機関は生徒議会にあるか校長にあるかとか、あるいは生徒集会、クラブなどに関することに対して、質問が集中した。質問者は一人残らず二年生だった。(この機会に会則を見せて上げよう。)

1952 年 3 月 19 日(水)雨

 社会が十分ばかり早く済んだので、卓球室でゲームをして遊んでいたところ、始まったのに気づかなくて、生物に遅刻してしまった。きょうは、そのほかに、体操で篭球のゲームをしたし、昼食時の休み時間には、第二体育館で排球の円陣パスをした。まさに、スポーツのための日である。
 人間の呼気は、朗らかなときに桃色、怒っているときに灰色、悲しいときに青色になるそうである。青息吐息とは、適切な表現だとか。雰囲気はこの呼気によって作られるとか。

 春休みのスケジュールについて ME 君に一つの提案を試みた。趣旨には賛成してよいが、その方法について問題があるというような意見だった
[3]。
 Ted はいまでも駄目かい? KJ 君も持っているから、教えて貰って出来るようになったかい? もしまだなら、この春休みに完全にこなせるようにしたらどうだろう。Better late than never. というからね [4]。

 引用時の注
  1. 国語の教科書にでもあった文の題名のようだが、誰がどこに書いたものか不明。
  2. 「ゴリ」は金沢の方言で、淡水魚カジカをいう(『広辞苑』による)。Sam はこのあとに、カエルのことも「どんく」というところがある、と書いているが、カエルの一種にもカジカという名のものがあることに、どこかつながりがありそうだ。ちなみに「ごりの佃煮」は金沢名物の一つである。
  3. 何のスケジュールか不明。次に、別のパラグラフがあり、祖母が驚いていたようだとあるが、これも意味不明であり、省略する。
  4. 私に自転車に乗れるようにしろといってくれたのだが、間借りの身で自転車を買っても置く場所に困ると思い、さらにまた、運動神経がはなはだ鈍かったこともあり、乗る気が全くなかった。いまでもダメである。

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

kwama 08:58
 こちら長崎ではカエルのことを「どんく」と呼びます:-)
 もう三月というのに、昨日からずっと小雪が舞っており、屋根にはうっすらと積雪が…。あ、いま、ちょうど雲間からお日様が顔を覗かせました。

Ted 03/06/2005 09:41
 kwama さんは長崎にお住いでしたか。高校生時代からの長年の謎「カエルのことを『どんく』というのはどこだろうか」の答となる貴重なコメントをいただき、ありがとうございました。

Y 03/06/2005 09:36
 少なくとも関西では有名なはずの、「ドンク」という美味しいパン屋さんがあるので、その話題かと思って来ました。
 「篭球」とはバスケットボールですか? 私はすごく厳しい中学バスケ部でキャプテンをしていましたが。「排球」はサッカーですよね。
 どの話題にしても、呼気のお話にしても、Sam さんは Ted さんと本当によく合う聡明な人柄のよいお友達だったのだろうなと思います。

Ted 03/06/2005 09:51
 ほう、Y さんは、中学バスケ部のキャプテンでしたか。「排球」はバレーボール、サッカーは「蹴球」です。私が終戦前後に大連の小学校にいた時、休み時間に軟式テニス用のボールで蹴球遊びをすることが盛んでした。野球、卓球以外の球技を漢字で書くことは少なくなりましたね。

Y 03/06/2005 10:16
 その中学バスケ部は、全国大会にも出るようなところでして、そして当時の教育ですから、先生(教師)や OB から殴られる(一回の「殴り」で、数えた最高記録の張り手が 29 回連続でした)、試合中の休憩時間に「ダッシュしろ」と言って走らされる、週 1 日のトレーニングのみの日は運動場30周走るというメニュー、退部届けを先生から渡されて、「どうかもう一度、お願いします」と頼まなければならない…といった、壮絶なバスケットボール部でした。私はガードでした。背も高くなかったからですけど、あまり動かず頭脳でチームに作戦(用語忘れました…)をサインで送り、パスボールを渡すのが得意でしたから。これまた壮絶な先輩・後輩の支配関係で、先輩に信頼されてキャプテンになってからは、ぱっとしない実績でしたよ。県でベスト4で終わっています。

Ted 03/06/2005 11:19
 厳しい練習ぶりだったのですね。私は、クラブ活動はスポーツとは無縁で、中学・高校とも、新聞部でした。一般新聞の社説に相当する「論説」を中学と高校でいくつも書きました。中学時代の論説の一つの中で、将来に「希望」をもって、「健康」に注意し、何事にも「活発」に取り組もう、という「3K 主義」を唱えましたが、卒業後母校を訪問した時、その後に出た学校新聞に後輩女生徒が、その論説を盗作しているの見て、嬉しいやら、悲しいやらの複雑な思いでした。

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