2005年3月13日日曜日

流行歌を歌いまくる

 高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952年3月28日(金)晴れ

 タイプの練習に行くために自転車で家を出た途端、Funny (ME君)にばったり会ってしまった。NHK の「三つの歌」が金沢へ来るので、出場申込み料六十円を持って JK へ申込みに行くのだが、「つんだって(連れ立って)」来て欲しいというのである。そんなことがあるはずはないと思ったが、耳寄りな話でもあり、ぼくも申込むつもりで行った。しかし、案の定、聞き誤りたったのか、デマだったのか、そんなものはなかった。その足で(じつは自転車で)AR 君のところへ行くことにする。
 同じように指を使いその器用さを必要とするものでありながら、アコーディオンの方は、どうもうまく行かない。左と右が違う動作をしなければならないことが難しいのだろうか。ぼくにとっては、左手で丸を、右手で三角を同時に描くようなものだ。留守番の相手をしていたら、一時過ぎになってしまった。その間、AR 君が伴奏し、Funny とぼくは五十曲近くの流行歌を歌いまくった。「黄色いリボン」や「ヤットン節」などの新しいものや、「懐かしのブルース」のようなものもあった。AR 君が「ジャズというやつは、絵でいうとマチスやピカソの描いたがみたいなもんで、不協和音ばっかり並んどって、どこがいいのか分からん」といったのは、なるほどと思って聞いた。Funny が盛んに「イースターパレード」や「世紀の女王」など、音楽映画について語った。
 「道に迷ったが、どこか面白い道を通って帰れないか」という口実を設けて、KD 君のところへ寄ってみた。彼は明日、ピンポン球を持って九時までに学校へ来るだろう。


[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 03/13/2005 14:48
 Sam さんという方は、明朗闊達、遊び上手の愉快な御仁だったのでしょうね。リーダーシップもなかなかのものだったということが、これまでの交換日記の中でもよく判りますよ。

Ted 03/13/2005 17:26
 ご推察のとおりです。そいう彼から、交換日記開始の初め頃に、私の性格の欠点を優しくながら、ずばりと指摘され、直したいと思いましたが思うにまかせず、私としては悩む日々も多かったのです。
 しかし、彼も非常におしゃべりというわけではなく、私と話し合っているとき、ふと互いに黙り込んでしまったままで、しばらく時を過ごすことがありました。私が、よく考えたことしか話さない性格だったので、それにある程度調子を合わせていたのかも知れませんが。いずれにしても、貴重な友人でした

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