2005年3月7日月曜日

さっそく種をまこう

高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952 年 3 月 20 日(木)曇り

 午後は単位認定会議か何かがあるそうで、授業は午前中で打ち切り。四限がブランクだったから、家へ十一時三十五分に帰り、畳の上に座って昼食を食べることが出来た。しかし、午後、会計監査委員会があることになっていたので、自転車で再び学校へ行った。仕事は、会計簿と支払書とが一致しているか、もっと簡単にいえば、金銭上の不正がないかということを調べるものである。

 Sam! お前はそれほどまでうぬぼれているのか。それほどまでしても、それを得たいのか! やってみ給え
[1]。どんな結果が得られるかわからないけれども、どちらに落ち着いても、たとえ悪い思い出を作ることになったとしても、けっして、悪い体験にはなるまい。さっそくその種をまこう。芽が出るか出ないか、まずそれが問題だ。

(Ted)

1952 年 3 月 21 日(金)晴れ

 1 年に九つある中の 3 番目の祝日だ。静かに、そして楽しく過ごしたように思う。11 時から正午までは洗面器と石けんと手ぬぐいを持って、祖父のための時間とした。午後には母との行動があった。香の煙とロウソクの火と一つの部屋にぎっしりつまった人びと——多くはどんなに楽しいときでも歌が唇をついて出ることがなく、その代わりに、念仏という単調なものをつぶやく年齢層の人たち——の頭を眺めていた時間だった [2]。

 引用時の注
  1. Sam にしては珍しく、抽象的に自問自答している。ラブレターでも書こうとしているように取れるが、どうだったのだろう。
  2. 母と大谷廟所へ彼岸の参りに行ったのである。

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