高校時代の交換日記から。
(Sam)
1952年4月9日(水)雨
商業(二)では、簿記を一週一時間しかしないと聞かされて大失望! 甲の時間に残りの教科書を卓球室の出張販売所で買った。幾何や世界史の分厚い本に驚く。国語の二冊も昨年のが問題にならないくらい量が多い。きっと内容も豊かであろう。体操は今年度もまた KN 先生になった。
(Ted)
任期が1年間のものと1週間足らずのものの選挙と、「指導資料」への記入と、「生徒要覧」の配付と、その中の「生徒指導要領」のスピーカーを通しての IT 先生の説明があった。
掃除を済ませて箒2本と塵取りを更衣室の H・N 先生(女子の体育担当)の所へ返しに行くと、1本の箒が少しも汚れていなくて新しいままだったのを見て、これで掃除したのか、と先生は鼻の先へ箒を突き出した。「人数が少なかったから、余って使わなかった」[1] と答えても、まだ掃除ぶりを疑っているようで、しゃくにさわったから、「それに、あの辺はきれいだったんだ」と自分の答をどっちつかずのものにして、ゆうゆうと出て来てやった。
「指導資料」には、昨年と同じことをたくさん書き込まなければならない。「交友」欄の「交友関係をむすんでいる重な(この通り誤字になっている)動機」には、左右二つの欄がある。左欄には、いわば地域的、行動的関係からの動機、右欄には、交友を保っている内的な絆の構成要素(この定義は、いま相当考えて書いたものだ)を記すことになっている。Sam との交友については、前者に「中学校で学習上から」、後者には最近出ている本の題名を使って、「ものの見方の共鳴」としておいた。
「自己判定」欄は、知能、性格、言動、身体と別れていて、例えば、その中の性格については、社会性、幸福、成功、判断、安定、感情、諸安定度、自信、親切、尊敬、協調、指導力、責任感、寛容、独立、正直、余暇利用、創造、とあり、それらの上に、優れた事項には◯、劣ると考えられるものには△をつけるのだ。幸福とか成功とは、どんなのを優れているというのだろう。安定と諸安定度をどうして別にしたのだろう。
引用時の注
私はこの通りのことば遣いで答えたのではなく、ここには表現を簡略化して、内容を記したのだろう。しかし、とがめられたことに立腹して、このようなことば遣いをしたと考えられなくもない。
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