2005年3月8日火曜日

特別教育活動が改定される

高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952 年 3 月 22 日(土)晴れ

 来年度は A(アセンブリー)、C(クラブ活動)、H(ホームルーム)の特別教育活動を改定し、C は時間外だけとし、A と H で 1 時間とするそうである。そうして作られた余分の二時間は授業をすることになる。その増加に伴う登録が第四限に行われた。その内容は、次のようなものである。社会科は卒業までにその課目を取ることのできないものに限り、取ることができる。例えば、二年で世界史、三年で人文地理をすることになっていれば、日本史 B か時事問題 B を取ってよいのである。数学科は解析 I と幾何、理科は生物と化学で、これらは既修者と未修者のどちらでも取ることができる。既修者が取るのは A、未修者が取るのは B である。英語、国語、芸能科は、それぞれ好きなものをしてよいことになっている。しかし、二年生で英語 III を取れないことはもちろんである。
 きょういわれて、きょう決めなければならないので、大いに迷ったが、一度修めたものをさらに深くするよりも、新しい課目をすることにし、時事問題 B を第一志望、化学 B を第二志望に登録しておいた。
 四限にはこのほか、会則修正の賛否投票が各ホームで行われた。その結果は五百何票対百何票で、賛成が優に 2/3 を超え、修正案成立となった。この修正にたずさわった者としては、まずありがたいことである。果たして来年度の選挙がうまく行くかどうか、それはまた、別の問題である。
 本校合格者の発表が掲示されている。おんや、まぁ? これは可愛そうだ。長町小校下の生徒たちは半分ほど泉ヶ丘高校へ行かなければならないことになっている。二年生や三年生は二水へ来ているのに、同じ町でありながら、一年生だけが時間にして三倍はかかると思われる泉ヶ丘まで行くということは、可愛そうでたまらない。


(Ted)

1952 年 3 月 23 日()雨。風が強い

 天候が外出を阻んだ。午前中は計算尺を動かし続け、午後はいつの間にか終る。夜は特集番組の、次つぎに出てくる歌謡曲とともに長い。急に起き上がった祖父は、8 時 20 分(時計は 5 分ほど進んでいるが)の長針と短針を見間違えたのか、廊下を往復する散歩を始めた。

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