高校時代の交換日記から。
(Ted)
1952 年 3 月 30 日(日)晴れ
Y・K 君という。野田中の 2 年だ。強い個性が見出されない。しかし、彼は彼としてのよさを持っているに違いない。S = A(1 + nr) その他を教えなければならなかった。そそくさとやって、2 時半に帰し、日光を浴びに出た。買ったばかりの本を芝生に腹ばって読んでいるときに感じるだろうと思われる匂いが、地上に満ち満ちていた。
(Sam)
快晴! 誰だってこんな日には、おおらかな気持ちで散歩したいと思うだろう。Funny が持ってきてくれた同窓会名簿の学校にいた頃の新聞に、ぼくが四字の見出しで書いた [1] あの時と同じコースをたどって散歩した。
あらゆるものがぼくの目を見はらせる。あの時の文を思い出しながらペダルを踏む。ペダルが一回転するごとに、思い出がまざまざと新しくなる。まだ梅は咲いていないが、道端にはツクシが二、三寸ばかり、頭をもたげていた。ときどき自転車を止めて、四方の風物に恍惚と眺め入る。スケッチ用具を持って来なかったことを、幾度も残念に思う。
医王の山は、まだ雪化粧を落とさず、いっそうくっきりと聳え立っていた。戸室山はところどころに黒い地肌が現れている。目をやや近く下に向ければ、向山は春の装いに余念がない。低く連なる山にそって視野を北に向ければ、ひときわ高く宝達山がある。山頂の残雪が何ともいえない荘厳さをたたえている。
さらに自転車を進めて、橋を渡り、まだ知らない果てしなく続く道を行くと、道端につながれて独り付近を歩き回っていたヤギが、メェーーとないた。それに思い起こされて「森の子ヤギ」を口ずさんでしばらく行くと、郵便屋に会い、そこでメロディは「チリリンチリリン楽じゃないです」に変わる。
景色を望むのでなく、足を休めるために幾度か止まった。大浦小学校の前を通り、次の一つの村を越え、しばらく行って、川の堤とまじわったところで、そこに登ってみると、おゝ! きらきら輝く河北潟がすぐそこに開けているではないか。白帆が二つ浮かんでいる。釣りを楽しむ人たちがあちこちに点々と見える。
しばしそれらの景色にみとれた後、自転車を返すことにした。いま来た道はまだまだ続いていて、宇ノ気かどこかへ行くのではないかという気がした。帰りはとても早いように思った。
「私は誰でしょう」を聞いているところへ、家が七尾へ引っ越した IK 君が、教科書や登校日のことを尋ねに来た。いやなところへ来たものだと思ったが、愛想よく迎えてやった。彼は蛤坂の叔母さんのところにいて、そこから通学するそうである。
引用時の注
コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)
Y 03/15/2005 13:59:
当時は、「おゝ!」と表記するのが、普通だったのでしょうか。私の好きな椎名林檎は、大変古い漢字群をあえて使うことが多いのですが、私もこだわれるものなら漢字、文字にもっとこだわりたいのですが …。
性格的にはきっと Sam さんの方が Ted さんより幾分快活だった、Ted さんは内省思考型だったのでは、という印象がしますね。でも、お二人はとても似たところがおありのようにも思います。
Ted 03/15/2005 17:25
「おゝ!」は普通でした。実際の日記帳には、もっと漢字が多いのですが、現代向けに少し修正しています。われわれ 2 人の性格については、すべてご明察の通りです。
(Ted)
1952 年 3 月 30 日(日)晴れ
Y・K 君という。野田中の 2 年だ。強い個性が見出されない。しかし、彼は彼としてのよさを持っているに違いない。S = A(1 + nr) その他を教えなければならなかった。そそくさとやって、2 時半に帰し、日光を浴びに出た。買ったばかりの本を芝生に腹ばって読んでいるときに感じるだろうと思われる匂いが、地上に満ち満ちていた。
(Sam)
快晴! 誰だってこんな日には、おおらかな気持ちで散歩したいと思うだろう。Funny が持ってきてくれた同窓会名簿の学校にいた頃の新聞に、ぼくが四字の見出しで書いた [1] あの時と同じコースをたどって散歩した。
あらゆるものがぼくの目を見はらせる。あの時の文を思い出しながらペダルを踏む。ペダルが一回転するごとに、思い出がまざまざと新しくなる。まだ梅は咲いていないが、道端にはツクシが二、三寸ばかり、頭をもたげていた。ときどき自転車を止めて、四方の風物に恍惚と眺め入る。スケッチ用具を持って来なかったことを、幾度も残念に思う。
医王の山は、まだ雪化粧を落とさず、いっそうくっきりと聳え立っていた。戸室山はところどころに黒い地肌が現れている。目をやや近く下に向ければ、向山は春の装いに余念がない。低く連なる山にそって視野を北に向ければ、ひときわ高く宝達山がある。山頂の残雪が何ともいえない荘厳さをたたえている。
さらに自転車を進めて、橋を渡り、まだ知らない果てしなく続く道を行くと、道端につながれて独り付近を歩き回っていたヤギが、メェーーとないた。それに思い起こされて「森の子ヤギ」を口ずさんでしばらく行くと、郵便屋に会い、そこでメロディは「チリリンチリリン楽じゃないです」に変わる。
景色を望むのでなく、足を休めるために幾度か止まった。大浦小学校の前を通り、次の一つの村を越え、しばらく行って、川の堤とまじわったところで、そこに登ってみると、おゝ! きらきら輝く河北潟がすぐそこに開けているではないか。白帆が二つ浮かんでいる。釣りを楽しむ人たちがあちこちに点々と見える。
しばしそれらの景色にみとれた後、自転車を返すことにした。いま来た道はまだまだ続いていて、宇ノ気かどこかへ行くのではないかという気がした。帰りはとても早いように思った。
「私は誰でしょう」を聞いているところへ、家が七尾へ引っ越した IK 君が、教科書や登校日のことを尋ねに来た。いやなところへ来たものだと思ったが、愛想よく迎えてやった。彼は蛤坂の叔母さんのところにいて、そこから通学するそうである。
引用時の注
- 紫錦台中学校の新聞『紫錦』に Sam が書いた、ある日の散歩についての紀行文風の作文。中学生にしては、なかなかの名文だった。
コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)
Y 03/15/2005 13:59:
当時は、「おゝ!」と表記するのが、普通だったのでしょうか。私の好きな椎名林檎は、大変古い漢字群をあえて使うことが多いのですが、私もこだわれるものなら漢字、文字にもっとこだわりたいのですが …。
性格的にはきっと Sam さんの方が Ted さんより幾分快活だった、Ted さんは内省思考型だったのでは、という印象がしますね。でも、お二人はとても似たところがおありのようにも思います。
Ted 03/15/2005 17:25
「おゝ!」は普通でした。実際の日記帳には、もっと漢字が多いのですが、現代向けに少し修正しています。われわれ 2 人の性格については、すべてご明察の通りです。
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