2005年3月7日月曜日

地獄極楽の絵


 高校時代の交換日記から。

 上のイメージは一つ先のブログに引用した私の 1952 年 3 月 21 日の日記のところに貼付してあった紙片のコピー。「米、対日平和条約の批准を完了」という、当日の新聞記事の見出しを私が手書きしたものと、当時の米国国務長官ダレス氏の写真である。

 写真は新聞を裏から鉛筆の根元でこすって紙に転写したので、新聞に掲載のものとは左右が逆になっている。「こんないたずらは? 何も薬品を用いたわけじゃない」と紙片の下に書いてある。Sam は「石けん水でも使ったのか」といったのだった。下に引用する同日付けの Sam の日記も、たまたま最初にこのニュースに触れている。

(Sam)

1952 年 3 月 21 日(金)春分、晴れ

 米上院批准案可決!(こんなことがトップに出てしまった。)

 梅花の白く匂っているのを見かけた。We went to a park and played some kinds of game. Since it was very fine, we enjoyed very much.(主語の複数は、例の子どもたちが一緒にいたことを意味する。)
 午後は自転車を利用して、市中めぐりをする。金沢駅へ行って、新築工事を行っているその近代的機械利用文明にみとれ、別院に向かってその荘厳豪壮な建築に遠い昔の工事の様を想像した。
 「地獄極楽の絵」。正式には何という名のものか知らないが、焦熱地獄とか、天道、地道、餓鬼道など、様ざまな絵図がかけてある。すべて想像図に違いないが、なかなか恐いものを描いたものだ。大きな絵図だが、細かく描いてあるから、少し遠く離れて見ると、何なのか分からない。説明文がないから、こうなるとああなるのだろう、こういう意味なのだろうと、考えをめぐらしながら見ていく。一人説明している年老いた坊さんがいたが、その周りは人が大勢だった上に、聞き取りにくい声だったから、それを聞くのはあきらめた。これは、いわゆる視覚教育である。何でも、小さい頃には、とても恐いと思って見たので、暗いところなどでは、長い間それを思い出して、おののいたものだ。「讚善戒悪」というのか、もっとよいことばだったと思うが、それを全体を通していっているのは、いうまでもない。
 三和百貨店はなかなかよいものになっている。しかし、狭いところに並べ過ぎた感じだ。とくに、階段は急で狭いから、危なくてたまらない。
 安井書店、というより、ヤスイホンヤの方が分かりやすい、その店でこれまでぼくの読んでいたものとぜんぜん変わった二冊の本を求めた。春休みになったのだから、うんと柔らかいものでも構わないと思ったからだが、自分ながら変な気持ちだ。しかし、これが案外、ぼくの前まえから要求していたものかも知れないのだ。


(Ted)
 書名ぐらい具体的に書いてくれ給え。

コメント(最初の掲載サイトから若干編集して転載)

M☆ 03/07/2005 17:38
 昔の日記をずっとってあるのが凄いなぁ。私も書いてたはずなのに… 1 冊も残ってないです(^_^);
 地獄極楽の絵は、江戸博物館だったかな?で1度だけ見たことがあります。「よい人間になろう」と心に誓った瞬間でした(笑)。

Ted 03/07/2005 19:54
 M☆さんの昔の日記が 1 冊も残っていないとは、惜しいです。
 Sam が書いている地獄極楽の絵は、金沢の東本願寺別院か西本願寺別院という寺で見たもののようです。
 M☆さんは、よい人間になっていますよ。

M☆ 03/08/2005 01:11
 (´▽`)(照)。

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