写真はイタリアのナポリ・カプリ島間の高速船から。大きな岩の左側に、カメが頭をもたげているような形の岩が見える(2003年5月13日写す)。
先のブログ [1] において、ある本 [3] に対する批評記事 [2] から、記憶の分類について学んだことを記した。これに関して、もっと詳しく知りたいと思い、ウエブの検索をしたところ、先に学んだ分類は情報のタイプに基づくものであり、ほかに持続期間に基づく分類と時間の向きによる分類がある [4] と知った。情報のタイプによる分類と持続期間による分類は、互いに独立な分類法ではなく、前者は後者の一部、すなわち長期記憶に対する分類のようである。時間の向きによる分類(回想的記憶と展望的記憶)は、持続期間による分類と同じレベルで別の観点から分類するものといえようか。それにしても、展望的記憶が回想的記憶と本質的に異なるとは考えにくい。展望的記憶は、その内容がすでになされた決定であって、スケジュールという形で未来に関係しているという、回想的記憶の特別な場合に過ぎないのではないだろうか。
As I wrote in a previous blog post [1], I learned about a classification scheme of memory from the review [2] of a book [3]. I wanted to learn more about it. At a Web site [4] I have learned the following: There are three schemes of classification of memory, i.e., classification by duration, classification by information type and classification by temporal direction. The scheme I learned before is the first one, and it classifies long-term memory, the largest part of any model about memory, into declarative (explicit) and procedural (or non-declarative; implicit) memories.
The classification by information type deals only with the long-term memory. Then it is not a scheme independent of the classification by duration but the one that subdivides the latter. The explanation of the latter at the above Web site [4] is as follows:
Classification by Duration
A basic and generally accepted classification of memory is based on the duration of memory retention, and identifies three distinct types of memory: sensory memory, short-term memory, and long-term memory.
The classification by temporal direction is explained as follows:
Classification by Temporal Direction
A further major way to distinguish different memory functions is whether the content to be remembered is in the past, retrospective memory, or whether the content is to be remembered in the future, prospective memory. Thus, retrospective memory as a category includes semantic memory and episodic/autobiographical memory. In contrast, prospective memory is memory for future intentions, or 'remembering to remember' (Winograd, 1988). Prospective memory can be further broken down into event- and time-based prospective remembering. Time-based prospective memories are triggered by a time-cue, such as going to the doctor (action) at 4 pm (cue). Event-based prospective memories are intentions triggered by cues, such as remembering to post a letter (action) after seeing a mailbox (cue). Cues do not need to be related to the action (as the mailbox example is), and lists, sticky-notes, knotted handkerchiefs, or string around the finger are all examples of cues that are produced by people as a strategy to enhance prospective memory.
Can this classification be said to be the one at the same level with the classification by duration from a different viewpoint? Anyway I doubt that prospective memory is essentially different from retrospective memory. The former seems only to be the special case of the latter in which the retrospective content is a decision already made in the form of a schedule related to the future.
I also quote the description about declarative memory [4] below.
Declarative memory requires conscious recall, in that some conscious process must call back the information. It is sometimes called explicit memory, since it consists of information that is explicitly stored and retrieved.
Declarative memory can be further sub-divided into semantic memory, which concerns facts taken independent of context; and episodic memory, which concerns information specific to a particular context, such as a time and place. Semantic memory allows the encoding of abstract knowledge about the world, such as "Paris is the capital of France". Episodic memory, on the other hand, is used for more personal memories, such as the sensations, emotions, and personal associations of a particular place or time. Autobiographical memory - memory for particular events within one's own life - is generally viewed as either equivalent to, or a subset of, episodic memory. Visual memory is part of memory preserving some characteristics of our senses pertaining to visual experience. We are able to place in memory information that resembles objects, places, animals or people in sort of a mental image.
A commentator on my blog post [1] wrote that the word "information" used in the review [2] to explain the semantic memory seemed a little odd in the context, and I felt the same. Considering the fact that classification of memory can be made by information type, however, the use of the word "information" is quite natural.
Life's Speeding Up at Higher Ages (歳とともに人生は速くなる), Ted's Coffeehouse (May 4, 2005).
Y. Dudai, Nature Vol. 434, p. 823 (2005).
D. Draaisma, Why Life speeds Up As You Get Older: How Memory Shapes Our Past translated by A. & E. Pomerans (Cambridge University Press, 2004).
Memory - Learn all about Memory (Encyclopedia.lockergnome.com).
[The English version was also posted at "ISAAC & IDEA* Femto-Essays" site.]
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
Y 05/08/2005 14:07
Ted さんは物理学でもちろん時間論も、主たるご研究ではなくとも、今までに研究されたことと思いますので、ブログでもそうですが、私の立場からみますと、物理学のお立場から少し、時間や空間について綴られる際は、その部分は大変明快で、本ブログのように、「このように分類して、本当にそれで満足して良いのだろうか?」というふうに生じる問題意識と、その物理学理論の双方を尊重してご研究や執筆を進められると良いのだろうと思います。
人間の現実的事象について、classification が明快にできるといいのですが、どうしても疎外内容(=漏れこぼれ)や、関連性の関連、といったような複雑な(この場合だと、時間の)在り方を認めた論述になりにくいのでは、と私は思っているのですね。精神病理学でも、精神の疾患ごとに時間体制が異なることを分類的に述べられた理論は多かったのですが、どの疾患も「同次元で」時間論を考察してよい関係にはないと、私はその病を負った人たちを実際に多く知っていますので、そう思うんですね。At the same level で論じているのか?と、Ted さんも疑問を提出しておられますよね。
「一般論」と「普遍的な事実に関する学」とは異なりますし、私のやってきた、今後もそうであるのは「個別(具体的な)」現実事象に徹して、そこに「普遍(だと思われるもの)」を見出そうという、これも西田幾多郎の言ったことですが、そういう立場なのですね。ただ、個別事象を見た体験が豊かであれば、そこから普遍と思われるものを見出すのは可能なのですが[もちろん科学的な実証性(再検査・再実験可能、と言うのでしょうか? また忘れてしまって)はありませんが]。
やはり general な、一般的な理論を形成したり参照することも、並行して重要だと私は考えます。簡単に例をあげると、「人間学」においてまったく「社会学的な要素や、この社会の法律をはじめとする一般規律や社会情勢」が踏まえられていないなら、やはりまだまだだと思うのですね。
展望的記憶に着目されたのは面白いです。私は、上の理由が大きいためもあって、「分類」より「定義」を重視することが多いんですね。展望的記憶を Ted さんがご自身で「再定義」していかれる、といったことが重要だと思えるのですね。もちろん、「漏れこぼれのない定義」は、そう容易には生み出せないのですが。
それと、私が先日から見慣れない単語なのか、気になっているのが、declarative という単語などで、こういった時間論・記憶論でも、文脈に合っているということでよく用いられるのでしょうか? Declare, declaration の第一義的な意味が、「宣言(する)」、発表する、断言する、といったものなので、本文でのニュアンスはどういったものなのだろう、と思ったのですね。また教えてください。
最後に、本文に association が出てきましたが、現代にまで通用するブロイラーの統合失調症定義である「4つのA」のひとつは、associaton の障害です(元はドイツ語です)。言葉が上手くつながらなくなり、会話や読書に困難が生じる患者さんが中にはいて、と私は説明していますが、それだけではなく、本ブログで話題になっているような、体験記憶の association が弛緩したり、混乱したりしていくという深刻さがあり、先生が取り上げられた展望的記憶についても、この種の障害が生じることがあるのですね。実は、「大変抽象度の高い」病気だ、とも言えます。(だから統合失調症論は難解にならざるを得ないのです。)
Ted 05/08/2005 17:06
「…というふうに生じる問題意識と、その物理学理論の双方を尊重してご研究や執筆を進められると良いのだろうと思います」について: 研究というほどのものではない執筆ですが、私もそういう方向で考えています。というか、それ以外の方法は私にとって困難でしょう。
「…疑問を提出しておられますよね」と「展望的記憶を…ご自身で…」について: 私の疑問は確かに時間に関係していますが、その関わり方は単純です。記憶の獲得自体は、すべて過去になされなければなりません。展望的記憶は「未来の記憶」といっても、未来という時間において獲得がなされるのではなく、内容と、cue による想起の時期とが未来に関係づけられているだけです。したがって、記憶の重要な性質である獲得・保存の上では、回想的記憶と何ら異ならないと思われる、ということで、元記事に書いた以上に難しく定義を考える必要もなさそうな気がします。鏡像の問題で友人になった心理学の先生に一度意見を聞いてみようかと思っています。
『「人間学」においてまったく「社会学的な要素や、この社会の法律をはじめとする一般規律や社会情勢」が踏まえられていないなら、やはりまだまだだ』について: ご卓見と思います。
記憶の分類での declarative の意味について: 日本語のウエブサイトで確かめたところ、declarative memory はそのまま「宣言的記憶」と訳されています。他方、non-declarative memory は procedual memory という同義語の方の訳である「手続き記憶」が使われています。Declarative には文法用語としての「陳述的」という意味もあります。Declarative memory の訳には、こちらを使う方がよいように思われます。宣言的記憶の意味は、「言葉で表せる記憶」なのです。手続き記憶は「言葉を介さず、体で覚えている記憶」です。