2005年4月8日金曜日

いま満開、堺市のわが町近辺


 4月8日、天気予報では朝のうち曇っていても、次第に晴れるようにいっていたが、曇り空の方が写真が撮りやすいかも知れないと、午前10時半頃、近辺の桜を撮影に出かけた。歩いているうちに、空は次第に明るくなってきたが、まだ、晴れとまでは行かない。

 笠池公園、堺上高校の桜並木をまず撮影する。どちらもほぼ満開である。開花を待ち焦がれていたのがいつのことかと思われるくらい、咲きだしてから満開までは早い。満開の様子をそれらしく伝える写真を撮るのは、咲き始めを知らせる写真を撮るより難しい。

 さらに足をのばして、津久野南団地脇の桜並木へ行く。並木の大部分が見えるところまで南下して振り返り、北を向いて撮ったのが上の写真である。

 写真の右手に川が、さらにその右に泉北2号線という道路がある。道路の東側へ行けば、並木全体が画面の左右に拡がる形に撮影できるが、団地の建物や川の石垣が大きく入って、桜の迫力が出せない。並木のところどころに大きな間隙のあるのも、そのまま写ってしまう。採用した写真は苦心作である。

 団地から泉北2号線を隔ててやや北に、泉北下水処理場がある。その構内には木が多く植えられており、桜も何本かあるが、桜並木の形にはなっておらず、わが町近辺の満開を知らせるような写真にはなりにくかった。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

poroko 04/08/2005 23:07
 見事です。薄いピンクがずーっと向こうまで続いてます!! この季節が来ると桜は格別な花だと思いますね。最近読んだエッセーでは、日本人の花見に対する気持ちを誉めていました。気温や天候で花の時期が短くなったり予定よりずれてしまっても文句をいうどころか限られた中でせいいっぱい楽しもうとする「心」がいいそうです。

Ted 04/09/2005 08:07
 桜には太平洋戦争の思い出もあります。「予科練(海軍飛行予科練習生)の歌」というのがあり、その中に「七つボタンは桜に錨」という言葉がありました。日本の兵隊が桜のようにいさぎよく散る(戦死する)ことを求められた象徴です。私が小学校3年生か4年生(4年生の夏に終戦)のとき、大連で同居していた従兄(大連実業学校の最上級生だったでしょうか、いまの高校1年生か2年生です)が予科練に招集され、そのまま帰らないかと悲しい思いをしました。従兄は幸い戦場へ行くことはなく、戦後再会できましたが。

テディ 04/09/2005 16:03
 私の親父も鳥取の美保航空隊に予科練で行っていましたが、結局実機に一度も乗ることも無く終戦を迎えたそうです。しかしいさぎよく散る桜が日本人の心情によくなじむことはわかるのですが、生還することを前提とした欧米の軍隊と比べ、戦死することを最高の美学としたわが国の軍隊は、最初から敗北するための軍隊であるように思えてなりません。

Ted 04/09/2005 20:29
 テディさんのお父さんも予科練に行かれましたか。先日、太平洋戦争中に作られたアメリカの映画をテレビで見ました(ちょっと題名を思い出しません)が、その中で日本を軽く揶揄しているような場面がありました。その頃日本では「鬼畜米英」とかいって、必死に戦っていたのですから、ずいぶん力に差があったわけです。

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