2005年4月11日月曜日

『地球の静止する日』

 高校時代の交換日記から。
 
(Sam)

1952年4月19日(土)曇りときどき雨

 書道は五ヵ条の注意を与えられた後、「澄心對聖賢」という五字の練習をした。書道というのを二年間やっていなかったのだから、まったく要領を忘れてしまっていた。筆の持ち方から、コテンコテンに直された。

 惜しいかな、M・K 先生の時間がつぶれて A になり、例のように無競争で決定した生徒会会長、副会長、執行委員の就任挨拶があった。会長には紫中で吉尾先生の教室の一部を新聞部で獲得した頃、眼鏡をかけた三年生がいたが、その彼が就任した。トンチと呼ばれていたが、本名をご存知かな
(1)。現在は卓球部のマネージャをやっている。街頭宣伝をやっている××党々員のような口調でおごそかに威厳ある声で叫んだ。帰るとき Keti と一緒になり、聞いたら、「始めはえらいシケタやつがなったもんやと思うて、手もたたかんとゲラゲラ笑うとったが、半ば頃から感心して聞いとった」ということだった。
 ぼくは今年度も執行委員にまつりあげられてしまった。挨拶にはへんちくりんな副詞ばかり並べておいてやった。一度笑いがやまなくて、次の言葉が出なくなってしまったりした。べつに、あがるということはなかった。


 『地球の静止する日』を鑑賞に行く。ロボットの目から発する閃光が鋼鉄製の武器を焼き払ったり、巨大な宇宙船があったり、驚嘆すべき威力が示されていた。それに、現情勢下における思想の冷たい対立を風刺していた。
 われわれの地球から離れて、地球を広大な宇宙の中の一点として眺めれば、わが国土である日本は何と小さいことよ。そして、その中に水の分子のようにある一人ひとりの人間! あゝ何と微々たる存在よ。われわれが毎日あくせくしている日常のトラブルも、いかに微細なことだろう。しかし、われわれよりまだまだ小さな動物があり植物があり、バクテリア、ヴィルス等々、極小を考えるにも際限はなかろう。
 このようなことは日頃しばしば考えることであり、Ted も幾度か書き記しているのだが、この映画を観て、とくに現実的な対象として考えざるを得なかった。(こんなとき例の熟語を使って、"I could not but think." といってもよいのだろうね。)


 (1)[Ted の欄外注記]これより13日前に「肩を叩いて…」と書いたばかりじゃないか。会長になるとは思わないで、ごく気軽に(会長だからといって気がねをする必要はないが)やったものだ。

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