連載中の高校時代の交換日記は、以下に掲載する分でノート No. 13 の終りとなる[イメージは、その表紙。"It may be a hard nut to crack. (それは難問題かも知れない)" という題をつけてある]。このあと、すでに使用している No. 14 と、新しいノート No. 15 を交替で使用したのだが、No. 15 は紛失しており、当分は No. 14 と No. 16 の前半から、Sam と私がリレー式に書いたような引用となる。
(Ted)
1952年5月3日(土)晴れ
紅 1 2 1 0 0 2 1 0 1 | 8
白 0 1 2 1 1 1 0 1 0 | 7
聞いていて示唆とインスピレーションの妙味に感心するラジオ番組の得点表が、ちょうど野球のそれのようになった。女性軍の3勝に対して、男性軍が1勝しかしていないとは、しゃくにさわる。
驚異と、恐怖と、神秘と、生命の強敵の存在と、それに挑戦する医学の尊さを教えられた展覧会だった。エマーソンのことばの一つである「健康は第一の財産なり」を具体的に不幸な実例、不気味な図解、好ましくない数字を示す統計グラフなどが、如実に裏づけしているようで、ひしひしと胸にせまった。「健全でないこと」は、何と醜く、恐ろしく、不幸ではないか。[1]
無意識の淵に毒草が深く根をはっているような自分に思われてならない。その毒草はガンのようなもので、早いうちに徹底的に取り去ってしまわなければ、手のつけられないものになるだろう。そうなれば、第4会場で見た患者の手記と変わらないものをSamに読んで貰うことにだってなりかねない。
Sam が4月15日にわれわれのノート交換の影響としての感化・合流について書いた数行は、まったくその通りだと思う。Octo の文字がぼくのに似ていることについては、双方が真似し合ったのだ。[2]
1952年5月4日(日)晴れ
右するか左するか迷ったが、とうとう雨の中を飛び出した。傘の内側と足下の土や小石と折り目が雨でぼかされて行くズボンの裾のほかは、ほとんど何も見ることなく、また何も考えることもなく Twelve の家へ達し、彼をも雨中へ誘い出した。いつか KW 君の家へ寄ったとき、彼が和服姿で出て来たのには驚いたが、Jack のそれには慣れてしまった。悪天候の休日の Jack は――昨日、外出する前の彼 [3]
引用時の注
Sam と金沢大学医学部の展覧会を見に行った感想である。
いま思えば、私の方が多く真似ていたようである。
この続きは次のノート(No. 15)に記されたのだが、そのノートは紛失している。
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
Y 04/25/2005 13:05
もちろん私が注目するのは、Ted さんの第二段落、「生命の強敵の存在と、それに挑戦する医学の尊さを教えられた」という部分ですね。私の生涯の研究テーマそのものでもありますから。医学が扱う疾患の中で、精神科疾患は大変多い(京大精神医学講座は、助手が8名もいて、その上が講師2名(私の主治医)、助教授、教授という、日本で最も責任の重い京大医学部内でも大講座として占めていますし、精神科の患者数、クリニック、病院の数など、本当に多くの割合を占め医学や福祉の課題だと思われますので、以下…。
圧倒的多数を占め、また最も重要な問題性・課題が認められている統合失調症に関してですが、100名以上の友人や治療者・職員としての私が関わった統合失調症患者さんについて、私は関わってきた際に、「驚異、恐怖、神秘」は感じません。大変な恐ろしい精神症状に日々苦しむ方々も多いのですが、学者であれ現場職であれ、フィールドワーカーであれ、「彼らのために何かをしようと志す」者が、その病気の「事実」に対して恐怖していたら、彼らが精神の死の間際まで追い詰められているその恐怖や苦しみの事実に対して、まったく冷静に対応、貢献できませんよね。私は、どんな症例を論文で読んでも、どんな患者さんと出逢っても、びくともしません。そこにおいて自分の病気と数%でも関わらせるような甘い人間ではありませんし。
統合失調症も、まだブロイラーの「4つのA」の統合失調症定義のうちの一つしか、お話していないのは、訳があります。アンビヴァレンツ=両義性・両価性を生き抜くことができない、大変苦手であるのが彼らだと、ブログでお話しましたね。この4つのAは、すべて、動物ではなく、人間が人間であること、人間として生きることの条件に深く根ざした重要な問題であり、ですからどの分野の人間学からみても、いくら真剣な関心を向けても足りないほどの豊富な、ある意味「生命理論」が統合失調症について論じられてきたのです。ですから、統合失調症についても、何をおいても「生命の強敵の存在」としてこの病気を考え、そしてこの病気に罹患した方々の welfare = 幸福、福祉を、人生という幅広い視野で、より豊かにしていけるように、学者として考えるのが私の役目です。社会的事情により、大変な長期入院を世界最悪の状況で余儀なくされている「社会的入院」(福祉用語)の方々の、もちろん人権尊重の問題でもあります。
論文博士は、話をする免許になりますので、文科系医学博士でめざすことになりました。
Ted 04/25/2005 17:53
確かに、医学・医療に関わる人たちが「驚異、恐怖、神秘」を感じていたのでは仕事になりませんね。
第3パラグラフに書いてある「第4会場で見た患者の手記」というのは、内容は覚えていませんし、詳しくはどういう疾患か分かりませんが、精神科の患者さんのものでした。
「文科系医学博士」というものがありますか。よい目標を選ばれましたね。
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