写真は赤穂の東御崎展望台付近の八重桜(2005年4月23日)。
高校時代の交換日記から。
(Sam)
1952年5月2日(金)晴れ
黙とうは M・K 先生の時間にすることになった。十時にサイレンの合図でという伝達だったのに、サイレンは十時四分前に鳴った。先生が「戦没者の冥福を祈り、黙とうを捧げて下さい」と宣言して、静かにまなこを閉じた。約二分ばかり、ほんとうに静かな時が流れた。窓際にいた一匹のハエのブーンという羽音が、とてもくっきりと響いていた。どこか遠くで発しているらしい人の声が、かん高く聞こえてきた。音はただそれだけである。黙とうは五分ばかり続いた。あまり感想はわかなかった。続いて M・K 先生が「永遠」について短く話した。それから、教科書に入ったが、先生の名誉ある指名を受けて読んだ生徒たちは、仏籬祖室、萬法流転、時雨れて、緞子の夜着、草の枕、象潟など、いたるところで時間の空白を作った。
体操は、まず握力を計り、ついで背筋力を測った。握力は、左右のそれの和に1を加えて得られる数が、今夜に一致する。左右のそれの差は9である。これを二元一次連立方程式で書けば、
R + L + 1 = 88
R - L = 9
となる。背筋力は一月一日から起算して明後々々日までの日数と同じである。そのあと、鉄棒へ行き、「逆上がり」と「脚かけ上がり」が二回ずつ出来たものは、すぐ解散が許された。どちらも出来ないもの十四、五名は時間が終るまで説教を受けていたようだ。
放課後は、文芸、庭球、美術、独語、化学の各クラブと生徒会予算分配の交渉に入った。うまくまとまったのは文芸だけ。庭球とはとくにもめた。なにしろ最初なので、不慣れだったが、きょうで十分自信は持てた。
(Ted)
まさに、打ちひしがれようとしている。これでは、もうすでに打ちのめされ、踏みにじられ、あらゆる醜さをさらしてしまったといってもよいかも知れない。しかし、こう感じているのが、ぼく自身と他の少数の人びとのみならば、そして、それを撤回することができるならば――そうしなければならないのだ――望みは消えなくてすむのだ。
予算のための生徒議会が開かれていた。JOMR から録音にも来ていたので、ぜひ傍聴しようと思ったが、機会を失して、議員たちが頭をしぼり舌戦を戦わせている時間を、クラブの運動用具で興じた。
例年の憲法テストが、講和発効に因んで条約関係の問題を付加して、延長された SH に行われた。「講和条約が発効したのは昭和 年 月 日 時 分である」というのが最初の問題だ。戦争状態の終結した国には○、そうでない国には×をつける問題には、たくさんの国名があったが、確実にできた。
体育館に以前から貼ってあった陸上競技クラブとボートクラブの宣伝文の始めに大きく「檄」とあるのが、何のことか分からなかったが、漢和辞典を使って、ようやく納得し得た。
校長先生に習う教科書『代表英文選』が来た。"Alice in Wonderland"、"Adventures of Robinson Crusoe"、"Hamlet, Prince of Denmark" などが含まれている。
10円札偽造横行! 商業新聞の3面にあった見出しを書いたのではない。先日は HN 君が、わけの分からないことをいうので定評のある HR 先生の時間にこつこつと描き上げたといって、皆に見せて自慢していたが、きょうは、KS 君がいっそう精巧なものを作って見せびらかしていた。
Random writings of a retired physicist
Continuation of "Ted's Coffeehouse" (now being restored in archives of this site)
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2005年4月24日日曜日
戦没者の冥福を祈り黙とう
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