2005年4月13日水曜日

たいへんなことだ

 高校時代の交換日記から。
 
(Sam)

1952年4月21日(月)晴れ

 教務室へ見に行ったら「忌引」となっていて、M・K 先生の時間が休講になったので、遊んだ。
 部分麻痺を起こした二つの機械を北陸新聞社の向かいの病院である日本タイプへ運んだ。行く道みちわがクラブの運営方針についてあれこれと相談しあった。問題はたくさんある。


(Ted)

 放課後、今年度最初の新聞クラブ会合がある。土曜日に新しく入ってきた6名の1年生は、みな同じような背格好で、みな同じようにきちんとした黒い学生服を着て、みな同じように可愛らしいところがある。全員、兼六中出身だそうだ。――重大なことだ。たいへんなことだ。どうしても、しっかりやらなければならない [1]。ローカル番組の「学生の時間」の「学生新聞のあり方」を聞かなかったかい。わが校のIT 先生と FJ 君 [2] が参加して録音してきたものだが。
 英語の時間が始まる前に、松葉杖をついていて昨年1年間休学した KT さんが「物理とっていらっしゃるんでしょう」と、ていねいなことばで話しかけてきた。「はぁ」といって、困った顔もして見せてから、鞄から物理のノートを出して突き出した。土曜日に休んだのでそこを写したいのだろうが、彼女のほかに2年生で物理をとっている女生徒が1人しかおらず、それも何かの都合で借りられないとすれば、ホームが同じであるぼくのところへ来るのも不思議ではない。
 「友だちに会ったときには、僕の家が変わったことを伝えてくれないか」とのことだから、書いておこう。「南広岡町xのxx」これが KW 君の新しい住所だ。Tom に持って行って貰った英文手紙に yet としなければならないところを already としていたが、KW 君だって「君のご健康を礼って」などと書いているから、そう心配することはない。
 祖父の具合はまだ悪い。母は学校から早く帰ってそばにつきっきりである。朦朧々々。

 引用時の注

  1. 私がクラブ代表・編集長に選ばれたのだ。

  2. 新聞クラブの顧問の先生と前同クラブ代表・編集長の先輩。

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