写真は赤穂の東御崎から見た瀬戸内海。前方に横たわるのは小豆島(2005年4月22日撮影)。
高校時代の交換日記から
(Ted)
1952年5月30日(金)曇りときどき晴れたり降ったり
体操は腰が痛くなり口がからからになるまで、ハードルの並んでいる100米の間を往復した。1、2班がハードル走で、3、4班が砲丸投げだったので、IN 先生が向こうへ行っている間、両側の縦の木が赤くて、その間に挟まれている矩形の枠状の、われわれが飛び越さなければならない高さを作りだす木が白い運動用具を、われわれは、ただぽかんと眺めて立っていた。そのことが、はなはだよくないことだったので(理由を表すこの従属節を書くまでもないほど、よくないのだが)「お前たちは羊飼いに追われなければ動かぬ羊なのか」と、聖書的表現で先生に注意された。
何往復かの後、われわれは木陰で息をついたが、それまでにぼくは二度も転んでしまった。先生はもっぱら砲丸投げの指導をしていた。われわれは、かなりの疲れも手伝って、とうとう座り込んで雑談する羊にならざるを得なかった。体操の先生ほどにどんな運動も出来たらよいなという話から、先月あった校内東西対抗野球の話を始めた者があった。そして、でっぷりとした身体の最上部に野球帽をちょこんとのせて、とても走れそうもないような格好で二塁に立っていた T・Y 先生の話が出た。T・Y 先生は上手だったかという誰かの質問に対して、金沢放送局長であり本校 PTA 会長でもある T・W 氏の息子の WJ 君が、「へたくそだぁ!」と叫んだ。そのときは、ぼくもつい笑ってしまった。しかし、体操の時間が終って、大いに身体を動かした後の心地よさを味わいながらズボンをはき替えているとき、WJ 君が「おれ、しまったこと、いったよ」といったので、ようやく、われわれのそばに T・Y 先生の弟の YMG 君がいたことを思い出した。
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
四方館 04/29/2005 14:51
今日は初夏の日差しが強いですね。少年時の汗の臭いたつような一齣、懐かしい光景が蘇ります。
Ted 04/29/2005 17:19
「羊飼いに追われなければ動かぬ羊」を演じた日から遠く隔たった、初夏のような日差しの今日、妻と一緒に JR 天王寺駅で長女と待ちあわせ、妻の買い物に付きあったのち、孫の近況など聞きながら、3人で昼食を共にしました。隔たったようで、隔たらない日々をも感じるこの頃です。
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