高校時代の交換日記から。
(Ted)
1952年4月18日(金)晴れ、19日(土)晴れ、20日(日)雨
三つ重なった日付けの始めの二つは忙しさで、最後の一つは自分に対する叱咤の必要を感じて、何も書けない。
一昨日からの祖父の風邪は、少しはよい方である。
(Sam)
1952年4月20日(日)雨
弟・A と "How Green Was My Valley" [1] の鑑賞に出かけた。細かい雨が強い風で斜めに降ってくるから、上着もズボンもしっとりしてしまった。フィルム未着のため、十時五十五分から「モホークの太鼓」、十二時三十五分から「わが…」だったので、けっきょく二本立て三十円の特別サービス料金ということになったようなものだ。「モホーク…」は一度観たものだったが、インディアンとの数度の戦いの場面がアドヴェンチュアに富んでいて面白かった。
「わが…」は何とかいう子どもが主人公になって展開される映画なのだろうが、どうもストーリーがはっきりしなかった。彼の脚がふとした事故で歩けなくなったのを牧師の何とかさん(名前は一人も覚えていない。「鹿…花」のウォルター・ピジョンが扮していた)に信仰をもてと教えられて、ついに歩けるようになった話とか、その牧師と彼の姉との恋が鉱山会社の社長の息子のために壊されてしまうのや、労組の結成やスト、あるいは鉱山の落盤などといった事件が中に折り込まれてあった。全編を通じて笑わせられたところは、彼が初めて小学校に通ったときのところその他二場面だけぐらいのものであろう。とにかく、いろいろな社会問題を含んでいた中に、「信仰とはよく考えて行うことである」「金とは貯めるばかりのものではなく、有効に使われなければならないものである」などのことばも伺い知ることができた。
ニュースも四、五巻あった。もく星号遭難現場の痛いたしい有り様や全米都市対抗アマチュア・ボクシング大会の様子などなどがあった。こんなにたくさん観られたので、帰ったら三時半になっていた。
引用時の注
『わが谷は緑なりき』。ジョン・フォード監督による1941年のアメリカ映画。
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