高校時代の交換日記から。
(Sam)
1952年4月30日(水)晴れ
各クラブからの予算見積申請書が集まってきた。きょうから大いに忙しくなるであろう。これまでの委員会室が、事務室を拡張し応接室をも作るために、シャワー室あとへ引越さなければならなくなった。何から何まで、明るくて新鮮な感じだ。室内の調度を考えるのも、なかなか面白い。床はコンクリート、プールが横にある。廊下の向かいが物置、その隣が水泳部の部室、そこからさらに卓球室へと廊下が続いている。その反対側は、ソフト、ハンドボール、陸上競技、野球などの部室があり、ちょうど、多くの部室のど真ん中にあたるところである。
(Ted)
困難を感じる。それをいやでも乗り切ってまとめ上げ、作り上げなければならないという立場に立たされているのだ。[1]
くるっとして輝く目と、いつも美しい歯を現して微笑していて、曖昧さを十分にたたえて、のびのびしている口元と、しっかりと、しかも優しく、それより上の部分をしめくくる役割をしている顎を有する、生き生きしたやや長めの顔…。
それといい、40日足らず前までは毎時間見なければならなかったのに、いまでは完全にそうでなくなった人物 [2] の、存在する場所や触れるもののすべてを合理化し明るくしてしまうかと思われる緑色の躍動的なセーター姿といい、次の時代に対する力強い希望を象徴するもののようである。少なくとも何かそのようなものを感受してよいように思う。だが、それ以上には受け取らなくてもよいだろう。それより先に、自分自身のしなければならないことがある。[3]
引用時の注
新聞部の活動のこと。
1年生の間の日記に Vicky のあだ名でよく登場した女生徒。
女生徒たちの顔や姿に魅せられながら、勉強への気持を散らされまいと、心の中で闘っていた日々だったようである。
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