高校時代の交換日記から。
(Sam)
1952年4月15日(注)(火)雨
Ted の日記を読んでいると、「なるほど、こういうふうに書けば」「うん、ぼくの方もこんな状態だ」と思うのだが(これだけ書けば、先週水曜日に Ted の書いたことは、ぴったりとしていることになる)、Ted のような表現が出来ない。
Octo が Ted とよく似た字を書くのは、Octo が筆ぐせを真似たからだろうという者がいる。Octo にしてみれば、Ted の筆体の中に優れたものを認め、同化に努力したのであろう [2]。ぼくにはそんな芸当はできない。いくらかの感化は受けたかも知れないが、合流することは個性の存する限りないであろう。また、完全に合流すれば、われわれはまったく意志の交換を行う必要はなくなる。このようなことについての思索は Ted に任せた方がよい。ぼくは、その原因と経過のあらましと結果を聞いて同意するであろう。
授業は二限まで。二限後、男子は第一体育館に集合し、身体検査を受ける。KN 先生の支持通りに行かなくて、何もかもたいへんな混雑ぶりだった。いわゆる「要領のいい者勝ち」で、あちらでもこちらでも never-ending line を形成していた。とくにひどかったのは、eye examination と X-rays だった。きょうの結果に基づいて計算すれば、
比体重三二・九、比胸囲四七・二、比座高五四・八となる。
なお、身長はアカキ・ウである。
もしも Ted が優れた心理学的思索力をもっているならば、この二行によってぼくの大部分が分かるだろう。もう一つ、書き加えなくてもよいものを書き加えておくが、ぼくの視力は昨年と何ら変わっていなかったよ。
(注)(欄外に記入してあったもの)十五日に交換したことにしておこうや。[1]
引用時の注
4月16日に日記帳を交換したので、こちらのノートには、本来4月15日付けがないはずのところ、さかのぼって書いたということだろう。
事実は逆で、私が中学1年で Octo と同級だったときから、彼のかなり右上がりで整った筆跡を真似ていたのであった。
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
四方館 04/06/2005 09:22
私も筆跡に対して意識がいくようになったのは小6から中1の頃でした。身近なところで長兄や次兄の筆跡の模倣からでしたね。長兄は極端な四角字タイプ、次兄はかなりの右肩上がりの字形。いろいろ試してみたものです。そういえば、中学の頃は、特徴のある綺麗な筆跡は非常に伝播力がありましたね、特に女生徒たちの間では。この頃に、その人の筆跡はほぼ定まってくるのでしょうね。
Ted 04/06/2005 15:13
私は大学1、2回生のとき、法学部にいた字の上手な親友からも、なお影響を受けました。私の母は、くせのない奇麗な字を書きましたが、くせがなさ過ぎて真似しにくかったのか、私はあまり見習いませんでした。
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