2005年4月20日水曜日

ハナミズキ咲く / 講和条約発効


ハナミズキ咲く

 わが家の近くの笠池公園では、サクラの花の終った傍らで、ハナミズキが白い花をつけていた(写真は2005年4月19日)。

講和条約発効

 高校時代の交換日記から。
 
(Sam)

1952年4月28日(月)晴れ

 対日講和発効がきょうであるために、国旗が掲げられているのだが、Emperor's Birthday と勘違いしそうになった。
 昨日大失策をしたので、意気消沈だ。ほかでもない、昨日のいつのことだか知らないが、身分証明書とともに定期券入れを落としたのだ。高価なものは入っていないが、ないとたいへん不便だ。毎時間「次は何だい?」と聞かなければならない。
 H は所属クラブの調査があったあと、生徒会費の問題について意見を聞く仕事がホーム代表にあったのだが、うちのホーム代表は気の弱い者ばかりなので、ぼくが頼まれて司会をした。五、六人の男生徒が意見をいってくれたが、みな、昨年通り毎月五百円がよいという。値上げの提唱をしたものは誰もいなかったが、菫台高校に右へならえをする者もいなかった。
 幾何は、「これが平行であることを説明するのは閉口するが」、「この二つの角が錯角であるというと、錯覚を起こすかも知れないが」、「公理、公理というと、夏なら涼しくてよいかも知れないが、この頃ではちと寒すぎる」などの洒落がたくさんあった。時間の終りに「あすもあさっても休講にします。」といって、われわれを喜ばせてくれたが、よく考えてみたら、あすは休日、あさっては四番号の時間のない日だった。


(Ted)

 発効するね(これだけでは、あまりに簡単すぎるようだ)。――トルストイの3大作中の一番あとに書かれた小説が4月28日から始まっている。ぼくの父の死もこの日だった。5月7日に発効しても、ぼくにとっては、意味があったのだが。――SHにスピーカーを通して校長先生の訓話があった。演説口調で、けさの新聞にも多く見出されたようなことばを片っ端から駆使して、今後必要とされる勇気と努力をわれわれに鼓舞しようとする訓話であったには違いないのだが、独創的な感銘因子はなかった。
 国語甲は「言語」と「文学」に別れている教科書の「言語」の方をやっているが、「II. 新聞とラジオ」の「学校新聞の作り方」を終って、「ラジオを聞く」へ入った。その「二、実況放送について」の朗読が、整理番号順でちょうど、すばらしいバスの声とアナウンサー的発音で読む YMG 君に当たった。「いよいよ千四百にかゝります。古橋・橋爪千四百にかゝります。第三位からすでに五十メートル開きました。第三位の川口、けんめいに追っております。…」という、昭和23年8月6日、神宮プールでの日本選手権千五百メートル競泳の録音によったものだ。アクセント正しくすらすらと読んだ彼に、欲をいえば、もっと実況放送らしく力を入れて読んで貰いたかった。[1]

 ああいう型を好ましく思う [2]。しかし、人間である限りなくし得ないで残している欠点もあるに違いない。それを発見し得るまで、十分観察しないで、好ましいと決め込んでしまうのは動物的だ。それを発見することが、幻滅を感じさせるかも知れないことを理由として、こう書くのではない。われわれは、対象を観察し批判できるだけの理性を持たなければならない。(少し陳腐な記述になったようだ。)

 引用時の注

  1. YMG 君は大学卒業後、北陸文化放送に勤めた。一時期、私たちにおなじみの声でニュースを放送していた。

  2. 漢文の時間に一緒になる、温和・明朗で、かなり聡明な一女生徒のことを書いたのだったか。


Y 04/20/2005 15:29
 私は今では論文では、大変男性的、と自分で思える文章で論ずるのですが、それでもやはり、Ted さんの高校時代の日記文のほうが「ほんものの男性的な」文章だなぁといつも感じています。女性の男気質ではかないません。
 Sam さんと Ted さん、日記文に大変よく似ている部分が多いのは、当時の学校での国語指導などを一緒に受けておられるからなのか、やっぱり似ているご性格が多いからか、それとも交換日記をしているうちに、お互いに影響をあたえあっていた部分がかなりあったのか、どうなのでしょうね。
 私の愛読書の作家としていつも出すヘルマン・ヘッセも、男性の親友・友達の物語ばかりを描くのが得意でした。『車輪の下』のハイルナーのように、片方が年長だったりしてとにかく圧倒的な魅力で主人公を鼓舞する組み合わせがほとんどですね。でも、Sam さんと Ted さんの交換日記は、互いを意識しつつもまさに並行して進んでいますから、ヘッセが描いた男友達のあり方とまた違って、興味深く読み続けられますね。

Ted 04/20/2005 17:18
 Sam と私は、中学2・3年が同じ学校で、高校は別々でしたが、文の類似性には、当時の国語教育と日記交換の両方が影響しているのでしょう。『車輪の下』は、うちにある『新潮世界文学』に入っていますので、そのうちに読んでみたいと思います。

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