先日、何かの拍子に次の歌が頭に浮かんだ。
さらに次の歌も思い出す。
このような侵略戦争賛美の歌が、敗戦後 60 年のいまでも私の脳の記憶場所を占めていることは、子どもに対して歪んだ教育をすることの恐ろしさの証しというべきであろう。幸い私にあっては、これらの歌は記憶の深淵に沈んで、滅多に浮かび上がっては来ない。しかし、抹消はできない記憶である。
注:四方館さんのブログ記事「ふりかへるふるさとの山は野は暮るゝ」(本文は、「<戦後 60 年、語り継がれるべきことひとつ> 4 月 3 日付、毎日新聞の読者投書欄「みんなの広場」に、『戦後 60 年…今も自責の日々』と題する一文があった。…」と始まる)を読んだことを契機に記した。
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
行け行け軍艦
日本の
国の周りは
みんな海
海の大波
越えて行け
太平洋戦争当時の小学校(国民学校と呼ばれた)の音楽の教科書にあって習ったものだろう。
次のようなのも習った。
軍旗、軍旗現東京都知事や都教育委員会の喜びそうな、旭日旗を讚える歌である。私が 3 年生で大連市嶺前国民学校へ転校して間もない 1944 年の秋頃、同じクラスの S 君の朗読と、担任の M 先生のピアノ伴奏による何名かの出場者の斉唱によって、大連放送局から放送された記憶がある。
天皇陛下の
御手ずから
お授け下さる
尊い軍旗
さらに次の歌も思い出す。
海行かばこの歌の作詞は大伴家持というから、古い。作曲は信時潔によって1937年になされたそうだ。
水漬(みづ)く屍(かばね)
山行かば
草むす屍
大君の
辺(へ)にこそ死なめ
かへりみはせじ
このような侵略戦争賛美の歌が、敗戦後 60 年のいまでも私の脳の記憶場所を占めていることは、子どもに対して歪んだ教育をすることの恐ろしさの証しというべきであろう。幸い私にあっては、これらの歌は記憶の深淵に沈んで、滅多に浮かび上がっては来ない。しかし、抹消はできない記憶である。
注:四方館さんのブログ記事「ふりかへるふるさとの山は野は暮るゝ」(本文は、「<戦後 60 年、語り継がれるべきことひとつ> 4 月 3 日付、毎日新聞の読者投書欄「みんなの広場」に、『戦後 60 年…今も自責の日々』と題する一文があった。…」と始まる)を読んだことを契機に記した。
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
四方館 04/05/2005 14:31
そうですね、「海ゆかば」は家持でしたね。家持は、国司として各地を転々としているし、詞からは、望郷の想いを感じるのですが、私などは…。
作詞の信時潔は、母校の大先輩になります。戦前の母校は自彊精神を謳い、軍事と野球とがセットになった、いわゆる文武両道の伝統校のひとつだったようです。
Ted 04/05/2005 15:22
「海ゆかば」は、本来は望郷の歌でしょうが、陸・海軍の軍人は死をもいとわず天皇に忠誠を尽くして戦うべきである、との教えに悪用されていました。
四方館さんの母校は、そのような伝統校でしたか。
ぽち 07/24/2005 02:35
大和ミュージアムが軍国主義賛美の軍事博物館らしく、海ゆかばとか館内に流している。こういうミュージアムは、反核運動で結集した世界の人々の手で展示内容を変更させるべきでしょうね。
Ted 07/24/2005 13:17
そうですね。そして、軍国主義賛美の極めつきは、靖国神社の遊就館です。
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