2005年4月21日木曜日

光のリレー参加証 / 0と100の中庸


光のリレー参加証

 さる4月19日(米国時間4月18日)、アインシュタイン没後50周年を記念して行われた「光のリレー」プロジェクトへの参加証が、世界物理年日本委員会から昨夕送られてきた(イメージ;私の名前は、このコピーでは頭文字以外を消してある)。

0と100の中庸
 
 高校時代の交換日記から。

(Sam)

1952年4月29日(火)雨

 "When Worlds Collide" を金劇へ A と見に行く。『月世界征服』よりは凄みは少なかった。というのは、地球最後の場面と新世界ザリラの場面があまりにも簡単すぎて、あっけなかったからだろう。ほとんどの実業家や政治家に嘲笑されるところなど、ロケット製作までのストーリーは、だいたい『月世界征服』に似ていた。しかし、人道主義が強調されていたことは、大いに異なる点であった。ロケットの発射装置や構造などにもかなり進歩したところが認められた。
 A のところから2時頃帰宅した。その途端に、ある親切な人から一昨日の落とし物がぼくの留守中に封書で届けられていたのを祖母が知っていて、ひどく小言をいわれた。すぐお礼に行って来いといわれたが、雨が降っている上に、住所がぼくの知らないところだったので、最上級の文言で礼を書いて、封書で出した。彼の年齢も職業も分からないから、学生らしい用語を使っておいた。


(Ted)

 あることを理性が完全に否定し、感情はそれを100%望んだとする。両者の意を取り入れるため、相加平均すると50%となり、理性がどれだけ確実な論拠に基づいて否定していようとも、感情の欲望を半ば達成させなければならないことになる。相乗平均をすれば0%となり、理性が一歩も譲らないことになる。調和平均によれば…、と木曽坂を下りながら考えた。そして、一方が0であれば、調和平均をとることが不能であることばかりか、解析 I の教科書には a と b の相加平均も相乗平均も「正数 a、b に対して」定義されていたことに気がついた。そうすると、一方が0という、いまの場合、中庸を選ぶにはどうしたらよいのだろう。そういう平均があり得ないといっても、それが必要なのだ。

[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]

四方館 04/21/2005 22:29
 私の参加証は No. 4667でした。おそらく一時間余りの間に535名が加入したことになりますが、世界規模で行われていることを思えば少ないと見るべきなのでしょうね。

Ted 04/22/2005 16:52
 イベントのホームページには「有効参加登録数4818でした」とありますね。世界規模にしては参加者が少ないことも意外ですが、無効がかなりあったことも意外です。

M☆ 04/22/2005 09:42
 光のリレーなんて面白そうなイベントですね! 世界一速いスピードを競う競技になるのかな?!

M☆ 04/23/2005 12:36
 うわー、素敵な企画ですね(^▽^)。最近のニュースは暗いものばかり、本当に平和を祈願せずにはいられません

Ted 04/22/2005 16:57
 アインシュタインが最後に住み働いたプリンストンから始まって、地域ごとに平和を祈念して2分間消灯するという行為をつないで、いわば光と闇のウエーブを世界一周させるというもので、競争という形のものではありません。

Y 04/22/2005 11:07
 Sam さんの日記は(普通…)、Ted さんの日記は(ばればれのような気がするのですが…=若者言葉です)。さすが理系の方は、このように理論的に心を考えようと一生懸命されるのですね。この理性的にみえる営みが、実は十分感性・心に誠実な営みである方に膨らんでいます…。空手の S の基本は「中庸」だそうで、これは彼は知らずとですがアリストテレスの基本思想ですね。ところが私の生き方の基本は、ひたすら「自然(な、に)」です。私と基本が何年経っても同じでいらしたと私が気づいている精神病理学者の木村先生は、実はこの交換日記の通り「ぼくは」と書かれます。今はご多忙すぎてお話ができませんが…。
 冒頭ですが、私たち研究者は、歴代の素晴らしい研究者に心を捧げる人生でもありますね。木村先生・根本大批判、ブランケンブルク氏・根本大批判も、すでに今では容易に考察し終えております。私の修士論文は、真面目ないい子として論じながら、「大変政治的な」論文に徹していました、自分でも評価しております。そして、今ではそんな「いい子」では私はありませんよね、この人生を生き抜いた人間力がほんものなら。
 先日の私の英文誤訳ですが、cotemporary=同時代の、という非常に現代の私たちを想起させる単語に基づいて、temporary を訳してしまったんですね。私の分野は常に社会派・社会的でなければなりませんから、Ted さんの物理学のお話も、ついその癖で受け取ってしまったのですね。長くなりましたが、以上で。

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