高校時代の交換日記から。
(Sam)
1952年4月27日(日)快晴
Tedよ、ぼくを待ったりすることなく街へ出て、何か得たかい。ぼくは大勢の小学生と一緒に無料電車に押し込められて、北鉄本社前まで行き、そこで強制的に降ろされて、仕方なく、フラワー・ガーデンの花々や、それらを写生する子どもたちを見て、公園の中を通って香林坊に戻り、大和へ行って新エレベーターに乗り、商業美術写真展を見、題材の掴み方に感心し、ラムネ祭りの宣伝にたまらない欲求を感じ、1階に降りてはガラス掃き器の宣伝販売員のしぐさに見とれ、雀躍する金魚に初夏の涼を憩う心を想って午前を過ごした。午後は、物見高い群衆の中にあって、辛抱強く待つこと長く、広告行列をようやく眺め、子どもカーニバルや祇園囃子の遅々たる行進のあとを追い、幾人かの友人と会う。一人の友人は数年ぶりに会ったものだが、「あの時分は、ようお前と学校ごっこをしとったがやに、はや白線の帽子を被って…」といってくれた。
アドバルーンが、まぶしく光って、風にゆれている。湿り気の少ない風だ。やっとのことで来たトラの行列は、「トコトン節」や「ヤットン節」でスピーカーが騒がしい。トラの形をうまく利用したものや、動く作り物など、気の利いたもののある代わりに、ゴテゴテと皮膚に絵の具を塗った下卑たものもある。先頭からしんがりまで見るのに十数分を要する延々としたものでありながら、たいして銘記すべきもののないのはどうしたことか。
おゝ寒い。こんな日に花火なんて、何だい。十数発だけ見た。まだボンボンやっているが、勝手にしやがれ! 閃光を見てから三秒ほどたたないと音が聞こえて来ないから、消えてしまったあと、音がとどいて来る。大きな音だから、どんなにきれいだろうと思っても、もう遅い。Ted のところからもよく見えるだろうが、窓の向きは不適当だろうね。
(Ted)
苦悩と、もがき。
[以下、最初の掲載サイトでのコメント欄から転記]
四方館 04/19/2005 11:53
これも百万石祭りの一環なのでしょうか? それにしても、なぜトラの行列なのか、加藤清正ならともかく、前田候の加賀藩で…。
Ted 04/19/2005 15:47
百万石祭りの一環らしいですが、私は金沢在住の頃の、Sam のように祭り見物が好きではなかったので、残念ながら、なぜトラの行列なのかを知りません。この日、私が Sam を待たずに街へ出た、と Sam は書いていますが、私はどこへ行っていたのか、記憶にありません。
0 件のコメント:
コメントを投稿