高校時代の交換日記から。
(Sam)
1952年4月22日(火)晴れ
時事問題は先生がぺらぺらしゃべるのを一生懸命にノートしなければならないから、一番忙しい。それでも、時どき、「こんなことはノートに書いて貰っては困りますが…」といって話される。それが大変面白い。ワンマン首相が大工になったり、たすきがけで洗濯したりのマンガを、見る代わりに聞くような内容だ。
今年度最初の簿記の授業があった。毎週火曜だけはとくべつに簿記の時間ということになっていたのだが、先週は身体検査でできなかったのだ。一時間で第一章を終え、二つの宿題が出た。小遣帳や家計簿のようなものから始まったが、きょうこれだけ習っただけでも、ぼくのこれまで書いてきたそれらの帳簿がいかに不完全だったかを知った。
昨日の相談通り、わがクラブの会を開いた。総数38名。クラブとしては、かなり大きい方だろう。器械取扱いの注意や練習日割について伝達をした。生徒会へ提出する名簿も作成した。
(Ted)
解析 II の入れ子になった三角形の数の総和を求める問題について、学校へ行ってから帰るまでの休み時間ごとに教えてくれ教えてくれといわれていたような気がする。実際はそんなに教えてばかりはいなかったのだが、昨日 K・B 先生――黒板に y = f(x) と書いて、それを半ば怒っているようなきっぱりとした調子で読み、そこでちょっと区切ってから、頭の軸をやや後方に傾けて黒板をにらむ、という独特な所作をされる――が飛ばして行かれたこの問題を解くことのできた者は、目の届くところでは一人もいなくて、「どうするんだろう」という声ばかりを聞かされたから、そう感じたのだ。しかし、SNN 君には、これで何度示唆を与えただろうか。
きょうの K・B 先生の時間には、1/(1x2) + 1/(2x3) + 1/(3x4) + ... + 1/[n(n+1)] = n/(n+1) となることを考えるのに、10名足らずいる3年生を出し抜いて、ぼくが「はい! できました」といった。2項の差についての和に変形する途中までを黒板に一気に書いたが(そこまで分かったので「しめた」と思って手を挙げることを急いだのだ)、それからどうすればよいか分からなかった。1/k についての k が1から n までの和は、k についての k が1から n までの和の逆数かと思って、その部分を 2/n(n+1) としてみたが、どうもおかしい。K・B 先生は「それで(2項の差についての和に変形したところまで、の意)できているんだ。k に1、2、3、…を与えるとどうなるか」と助けて下さったが、あとを先生にまかせて下がってきた。分解した表現に数字を入れて書いてみれば、次々に消し合って、最初と最後の項だけが残って、1 - 1/(n+1)、すなわち n/(n+1) となるのである。「できました」といって最後までできなかったのは残念だが、途中までの考えにも及ばなかった連中よりはましだろう。
物理の時間に途中で無断座席移動をした SM 君は、先生に「Sensibilityがない!」と叱られた。続いて、相対誤差についての質問にもうまく答えられなかった彼は、再び、「だから、そんなことも平気でするのだ。Sensibility がない」といわれていた。[1]
漢文の先生は、あだ名がエノケンの SG 先生だ。「村田春海、和文ヲ結構スルニ、法ヲ漢文ニ取ル」を読まされた Twelve が、自分と同姓の漢学者名を「そんでんしゅんかい」と読んだのには笑わされた。
引用時の注
天秤などの感度を "sensibility" という、と教えられたばかりだったか。
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